臨床的意義不明なバリアントを網羅的に解析することで遺伝子診断の迅速化を実現
順天堂大学 難病の診断と治療研究センターの杉浦 歩 講師、岡﨑 康司 教授、近畿大学 理工学部生命科学科の木下 善仁 講師(順天堂大学 難病の診断と治療研究センター)、千葉県こども病院の村山 圭 部長(順天堂大学 難病の診断と治療研究センター)、および埼玉医科大学小児科の大竹 明 特任教授らの共同研究により、臨床的意義の不明なバリアント1(VUS2)の網羅的解析により、意義付けすることで、遺伝子診断の迅速化を実現しました。また、RNAシーケンス3やプロテオーム解析4を組合わせて行うことによって、従来の遺伝子診断法のパネル解析5や全エクソーム解析6では診断がつかなかった症例を確定診断に導くことができました。本成果により、遺伝子診断の迅速化が図られると共に評価済みの遺伝情報をデータベース登録することで公共データベースの拡充に寄与しました。本論文はJournal of Medical Genetics誌(Impact Factor [JCR]: 5.945)のオンライン版に2023年4月13日付で公開されました。
【本研究成果のポイント】
●臨床的意義不明なバリアント(VUS)は遺伝子診断における大きな障壁となっていました
●VUSの網羅的解析からバリアントの意義付けを迅速に行うための基盤が整備されました
●本研究において、ミトコンドリア病における遺伝子診断の迅速化を実現したことで早期治療が可能になると考えられます
【背景】
ミトコンドリアの機能異常が原因となる病気を総称してミトコンドリア病と呼んでいます。この疾患の発症年齢や症状、遺伝形式は多岐に渡っており、臨床的および遺伝的に診断が非常に難しい疾患です。
岡﨑教授らの研究グループは十数年にわたり、千葉県こども病院代謝科(村山 圭 部長)、埼玉医科大学小児科(大竹 明 特任教授)と共同で、ミトコンドリア病の生化学診断や遺伝子診断に取り組んできました。この疾患の診断は非常に難しく、その診断率はおよそ40%です。遺伝子診断において臨床的意義不明なバリアント(VUS)は、最終診断まで非常に時間が掛かる事態に繋がり、診断における大きな障壁となっていました。これは我々が対象とするミトコンドリア病だけの問題ではなく、遺伝学的検査を行う上で共通する重大な解決すべき課題として認知されています。これらの問題を解決するため、研究グループはVUSを網羅的かつ簡便に検証することが可能な実験系を構築し、課題解決に取り組みました。また、RNAシーケンスやプロテオーム解析等を組合わせたマルチオミクス解析*7を駆使し、原因解明に取り組みました。
【内容】
今回、ミトコンドリア病の一種であるLeigh症候群8等の原因となるECHS19遺伝子を対象にして、VUSの検証を行いました。過去のゲノム解析から同定された病的バリアントあるいはVUSを対象としました。さらに我々は東北メディカルメガバンク*10に登録されていた健常者由来のレアバリアント(ただしヘテロ接合状態)も検証の対象としました(図1)。まず、研究材料として、ECHS1遺伝子を欠損させた細胞を作製しました。その細胞に対して、正常なECHS1遺伝子を含む遺伝子発現ベクターを導入しました。簡便な評価方法としてATP量の測定を指標とし、正常なECHS1遺伝子がATP量の回復を示すことを確認しました。さらに、既知の病的バリアントあるいはVUSを、遺伝子発現ベクターを用いてECHS1遺伝子欠損細胞に導入しました。VUSの遺伝子機能が失われていれば、ATP量の回復がされないはずです。この検証によって、これまでにVUSとして留まっていたバリアントの機能的意義を決定し、いくつかのバリアントに関しては病的と判定することができました(図2)。東北メディカルメガバンクに登録されていたバリアントにおいても機能喪失を示す結果を得たため、病気の発症に関与する可能性が示唆されました。
上記の方法によりVUS検証を行ってきましたが、それとは並行してマルチオミクス解析による診断にも取り組んできました(過去のプレスリリース[参考1])。この解析からECHS1遺伝子のRNA発現およびタンパク質の発現低下を示す症例を見出しました(図3、症例1と4)。c.489G>Aのバリアントがスプライシング異常を介して、遺伝子発現に影響することを明らかにしました。さらに、これらの症例ではc.489G>Aの他に、図2で検証したバリアントも持っていました。つまり、先に検証を行っていたことで、迅速に病的なバリアントとして判定することができました。これに関連したバリアントを、過去のゲノム解析データの中から検索したところ、さらなる症例の発見に繋がりました(図3、症例2と3、4)。
【今後の展開】
本成果において、VUSを検証するための簡便かつ迅速な検証方法を新たに構築することができました。これをもって複数のVUSを病的と判定するに至りました。さらに、マルチオミクス解析との組み合わせで新規の症例を確定診断することができました。先だってVUS検証を行ったことで、より迅速な診断に至ることができました。ECHS1遺伝子異常による疾患はバリン制限食により症状を緩和することが可能であることが示されています。より早期の介入が重要であり、迅速な診断はその後の予後を左右します。つまり、本研究で確立したVUSの意義付けを用いて迅速な診断をつける取り組みは、臨床の現場において非常に大きな意義を持ち、今後の早期診断および早期治療を実現する手助けとなるはずです。また、本研究において構築した検証方法は他の遺伝子異常にも応用可能であり、実際に我々は既に複数の遺伝子で同じ検証方法が利用できることを確認しています。拡張性のある検証方法で、今後の発展が大いに見込まれます。
【用語解説】
*1 バリアント:バリアント(Variant)とは、その遺伝子のDNA配列における特定の変化や多様性を指します。これにより、遺伝子の構造、機能、または発現に違いが生じ、個体の特性や特徴、あるいは特定の疾患等に影響を及ぼす可能性があります。バリアントは、いわゆる遺伝的な突然変異も内包する言葉です。バリアントの研究は、疾患の遺伝的基盤を理解するために必要不可欠であり、遺伝子検査や個別化医療に利用されます。バリアントは、良性(benign)、病的(pathogenic)、あるいは臨床的意義不明なバリアント(VUS)などに分類されています。
*2 VUS:臨床的意義不明なバリアント(Variant of Uncertain Significance: VUS)とは、ある人のDNAに特定の遺伝子のバリアントが見つかっているが、それが健康や疾患のリスクに与える影響がまだ理解されていない状態を指します。良性(benign)あるいは病的(pathogenic)として分類されず、さらなる研究や検査が必要です。VUSとなっていることで診断がつかず、これが確定診断の大きな足枷となっています。
*3 RNAシーケンス:オミクス解析のひとつであるトランスクリプトミクスはRNAの発現を対象とした解析です。トランスクリプトミクスの解析方法として、RNAシーケンスが最も主流な方法となっています。主にメッセンジャーRNA(mRNA)を対象として、全遺伝子の発現を網羅的に解析するものです。
*4 プロテオーム解析:オミクス解析のひとつであるプロテオーム解析(プロテオミクス)は、タンパク質の発現を対象とした解析です。プロテオミクスの解析方法として、液体クロマトグラフィー/質量分析(LC-MS)が最も主流な方法となっています。生体内のタンパク質を対象として、全タンパク質の発現を網羅的に解析するものです。
*5 パネル解析:パネル解析(Panel sequencing)は、特定の疾患の原因遺伝子を特異的に抽出して、配列解読する解析手法です。特定の遺伝子のみを検索対象とすることで、迅速な診断や低コスト化を実現できますが、対象となる遺伝子以外に異常がある場合は、診断がつきません。例として、がん遺伝子パネル検査はがんゲノム医療の中で実用化され、迅速な遺伝子診断と治療選択につながっています。
*6 全エクソーム解析:全エクソーム解析(Whole exome sequencing; WES)は、ゲノム中でもタンパク質をコードするエクソン領域を選択的に抽出して、配列解読する解析手法です。エクソンはタンパク質をコードするため極めて重要な領域であり、この領域に疾患原因が集積していると考えられます。しかし、エクソン領域は全ゲノムの約2%にすぎず、調べられていないゲノム領域が多く存在します。
*7 マルチオミクス解析:マルチオミクスとはMulti(多数の)とOmics(オミクス)を組み合わせた造語であり、オミクスとは生体分子を網羅的に解析することを意味しています。オミクスはDNA、RNA、タンパク質、代謝物などが対象となり、それぞれゲノミクス、トランスクリプトミクス、プロテオミクス、メタボロミクスと呼ばれます。マルチオミクスではそれらの解析を組合わせて、複数の分子種を包括的に調べることを意味します。
*8 Leigh症候群:1951年にイギリスの神経学者 Denis Archibald Leigh によってはじめて報告された神経疾患です。40,000出生に1人の割合で発症するとされています。頭部画像所見で、脳幹や大脳基底核に両側対称性病変を認めることを特徴とし、発達遅滞、筋力・筋緊張低下、呼吸障害、知的退行などを主症状とします。
*9 ECHS1遺伝子:短鎖エノイル-CoAヒドラターゼを合成するために必要な遺伝子です。短鎖エノイル-CoAヒドラターゼは脂質代謝やアミノ酸代謝(バリン、イソロイシン、リジン、トリプトファン)の代謝経路に関与しています。近年の研究では、ミトコンドリア呼吸鎖複合体の機能にも直接的に関与することが示されています。
*10 東北メディカルメガバンク:東北メディカルメガバンク機構(ToMMo)は東日本大震災被害による震災復興の一環として立ちあげられ、岩手県・宮城県の被災地を中心とした大規模なゲノムコホート研究を行うための組織です。検体試料を収集し、ゲノム情報を含めた生体データを大規模に解析しています。ToMMoのゲノムデータはjMorp(Japanese Multi Omics Reference Panel)というデータベースにまとめられています。
【原著論文】
本研究はJournal of Medical Genetics誌(Impact Factor [JCR]: 5.945)のオンライン版で(2023年4月13日付)先行公開されました。
タイトル:Strategic validation of variants of uncertain significance in ECHS1 genetic testing
タイトル(日本語訳):ECHS遺伝子の遺伝学的検査における病的意義不明のバリアントの戦略的評価検証
著者:Yoshihito Kishita,1,2,12, Ayumu Sugiura2,12, Takanori Onuki3, Tomohiro Ebihara4, Tetsuro Matsuhashi3, Masaru Shimura3, Takuya Fushimi3, Noriko Ichino2, Yoshie Nagatakidani1, Hitomi Nishihata1, Kazuhiro R Nitta2, Yukiko Yatsuka2, Atsuko Imai-Okazaki2, Yibo Wu5,6, Hitoshi Osaka7, Akira Ohtake8,9, Kei Murayama3,10, Yasushi Okazaki2,11,*
著者(日本語表記):木下 善仁1,2,12、杉浦 歩2,12、小貫 孝則3、海老原 智博4、松橋 徹郎3、志村 優3、伏見 拓矢3、市野 紀子2、長滝谷 芳恵1、西畑 瞳1、新田 和広2、八塚 由紀子2、岡﨑(今井) 敦子2、Wu Yibo5,6、小坂 仁7、大竹 明8,9、村山 圭3,10、岡﨑 康司2,11,*
著者所属:1近畿大学理工学部生命科学科、2順天堂大学大学院 難治性疾患診断・治療学講座/難病の診断と治療研究センター、3千葉県こども病院 代謝科、4千葉県こども病院 新生児科、5ジュネーブ大学(スイス)、6理化学研究所 生命医科学研究センター YCI研究室、7自治医科大学 小児科、8埼玉医科大学 小児科学・ゲノム医療学、9埼玉医科大学 難病センター、10千葉県こども病院 遺伝診療センター、11理化学研究所 生命医科学研究センター 応用ゲノム解析技術研究チーム、12共同第一著者
DOI:10.1136/jmg-2022-108905
参考1:マルチオミクス解析によりミトコンドリア病未解決症例の原因を特定
~ 遺伝性疾患の診断におけるマルチオミクス解析の重要性 ~
https://www.juntendo.ac.jp/news/00131.html
本研究は主に国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)のゲノム創薬基盤推進研究事業JP22kk0305015の支援により実施されました。そのほか、AMEDのJP21im0210625,JP21ek0109511,JP22ek0109485,JP22ek0109468,JP19ek0109273,JP21bm0804018,およびJSPS科研費JP19H03624,JP20H03648を受け、多施設との共同研究の基に実施されました。なお、本研究にご協力いただいた皆様には深謝いたします。
【関連リンク】
理工学部 生命科学科 講師 木下 善仁(キシタ ヨシヒト)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2456-kishita-yoshihito.html