【名城大学】都市情報学部の稲葉千晴教授が和歌山県串本町で日本とトルコの友好関係史について講演

オスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」遭難(1890年)の犠牲者追悼式典に参列後

講演する稲葉教授

和歌山県串本町沖で1890年9月に遭難したオスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」の犠牲者を追悼する式典が6月10日、同町樫野の慰霊碑前で営まれ、日本とトルコの関係を研究する都市情報学部の稲葉千晴教授が式典を主催する在日本トルコ大使館の招待を受けて参列しました。稲葉教授は夜には串本町民を対象に講演を行い、エルトゥールル号の遭難を契機に始まった日本とトルコの友好関係史に足跡を残した日本人を紹介しました。

講演の演題は「エルトゥールル号遭難以降の日本・トルコ関係」

エルトゥールル号は1890年9月16日、明治天皇への表敬訪問を終えて横浜港からの帰途、嵐に遭遇して座礁し沈没。乗組員587人が犠牲になりましたが、地元・樫野の住民たちの懸命の救助で69人が助かりました。生存者の帰国や慰霊碑の建立など犠牲者の追悼に尽力したことから、その後の日本とトルコの友好関係の原点と言われています。追悼式典は、今年が両国の外交関係が樹立されて100年となるのを記念して開催されました。

献花する彬子さま
慰霊碑前で営まれた追悼式典

トルコ大使館と同海軍が主催した式典には、日本・トルコ協会の総裁を務める三笠宮家の彬子さま、コルクット・ギュンゲン駐日トルコ大使、串本町の田嶋勝正町長、親善訪問中のトルコ軍艦「クナルアダ」の乗組員ら約130人が参列。黙とうや両国の国歌斉唱に続き、彬子さまが「多くの先人が築いた友好の歴史が末永く続くことを祈ります」と述べられ、海上自衛隊呉音楽隊の演奏が流れる中、稲葉教授ら出席者が慰霊碑に献花しました。

稲葉教授は10日夜には、樫野地区の企画による講演会に臨みました。会場の樫野集会所には「エルトゥールル号の遭難を語り継ぐ会」の会員をはじめとする地元住民や串本町議会議員で本学卒業生の橋爪和雄さん(1978年農学部卒)ら約20人が集まり、稲葉教授は「エルトゥールル号遭難以降の日本・トルコ関係」と題して講演。まず「皆さんの先祖が乗組員を助けたことで日本とトルコの友好が始まりました」と強調しました。

稲葉教授「皆さんの先祖が乗組員を助けたことで両国の友好関係が始まりました」

そのうえで、両国が友好関係を深めていくカギとなった3人の日本人を紹介。エルトゥールル号の生存者をトルコに送り届けた日本海軍の軍艦に乗り、新聞で募って寄せられた義援金を持参してトルコ入りして若い軍人に日本語を教えた記者の野田正太郎、日本とトルコとの間で通商の可能性を模索した山田寅次郎、トルコで商店を開業して日本からは絹織物や陶磁器を輸出し、トルコからは薬品や羊毛など輸入した中村健次郎の足跡を解説しました。

国際関係論の研究者の稲葉教授に、参加者からは「今のトルコのエルドアン大統領の強権政治はいつまで続きますか?」との質問も。子どもの頃から記念碑の掃除を続けている住民などエルトゥールル号の悲劇には詳しい参加者ばかりでしたが、講演後には「知らないことばかりで楽しく聴かせていただきました」「新しい知識を得ることができました」などと満足そうに感想を話していました。

串本港に停泊するトルコ軍艦「クナルアダ」
熱心に聴く参加者
トルコとの関係史に足跡を残した3人の日本人を紹介
講演後には質問も相次ぐ
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