お洒落通のステイタス。江戸の趣味人が恋焦がれた更紗とは

異国情緒あふれるエキゾチックな模様と鮮やかな色彩が魅力の更紗。シックな色合いでありながら地味にならず、かといって派手になりすぎない独特のテキスタイルは、普段着の着物や帯の生地として親しまれ、装いに通好みの味わい深さを添えてくれます。そんな更紗が日本において一般に普及したのは江戸時代。貴重な嗜好品として趣味人を中心に多くの人々に愛されました。
今回は、当時の人々のユニークな更紗の楽しみ方をご紹介します。

4000年以上の歴史を持つ更紗

更紗とは、インド発祥の木綿布のこと。その歴史は古く、紀元前2000年頃に栄えたモヘンジョダロの遺跡からインド更紗と思われる布が発見されています。

インド更紗(メトロポリタン美術館)
インド更紗(メトロポリタン美術館)

インドでは、当時一般的に色を定着させることが難しいとされていた赤や紫の染色にいち早く成功。遅くとも15世紀頃には確立していたと考えられています。鮮やかな多色表現によって作り出された繊細かつエキゾチックな模様の織物は、まだ世界的に珍しかった木綿布の心地よい質感と相まって、諸外国の人々を魅了。15~16世紀頃からは貴重な交易品として各国へ広まっていきました。

江戸の趣味人を夢中にさせた更紗の楽しみ方とは?

日本に更紗がもたらされたのは16~17世紀頃。ヨーロッパやシャム(タイ)との交易を通じてインド産の更紗が多く輸入されるようになりました。 ただし「更紗」という表記が定着するのは幕末のこと。それまでは「佐羅紗」「華布」「皿紗」などの文字が充てられていたようです。

更紗の着物(寝衣)を着た遊女。  渓斎英泉『浮世姿吉原大全 仲の町へ客を送る寝衣姿』(国立国会図書館)
更紗の着物(寝衣)を着た遊女。 渓斎英泉『浮世姿吉原大全 仲の町へ客を送る寝衣姿』(国立国会図書館)

更紗人気は非常に高く、江戸時代に入り鎖国体制が敷かれて海外との交易が制限された後も、長崎の出島を拠点に継続的に輸入されました。当初は大名等上流階級の人々を中心に好まれ、武家の教養の一つでもあった茶道具に使われるようになります。中でも江戸時代中期(1760年代)にかけて輸入された上質なインド更紗は「古渡り更紗」と呼ばれ、特に珍重されました。
その後、江戸の経済発展を背景に力をつけていった町人たちの間にも広がり、暹羅師(しゃむろし)と呼ばれる更紗専門の職人も登場。国内での木綿栽培の拡大に後押しされる形で、国産の更紗(和更紗)も出回るようになります。特に文人や風流人の間で嗜好品として浸透し、更紗を身につけることは一種のステイタスのようなものを感じていたとも考えられています。
では、具体的に江戸っ子たちは更紗をどのように取り入れていたのでしょうか?ここからは当時の人々の主な楽しみ方を掘り下げていきます。

衣服でさり気なく遊ぶ

輸入されたインド更紗は、主に小袖や陣羽織として仕立てられていました。江戸時代初期の絵画資料には更紗の小袖をまとった人物像が描かれており、この頃からすでに異国情緒あふれる珍しい模様に人々が深い関心を寄せていたことがうかがえます。しかし、更紗は文政8(1825)年の奢侈禁止令の対象に。表立って身につけることが難しくなると、今度は下着や襦袢、着物裏、間着(打掛の下に着る小袖)など、外からは見えない部分に更紗生地を使用。江戸っ子ならではの柔軟な発想でオシャレを楽しみ、粋を競っていたようです。

『格子絣更紗間着』 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
『格子絣更紗間着』 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

更紗小物に宿る通の美意識

更紗は印籠や巾着・早道(小銭入れ)・煙草入れなど袋物の生地としても使われました。袋物を扱う職人(袋物商)は、裂のどの部分をどう生かすのか、また裏地や金具は何を合わせるのかに苦慮していたのだとか。趣味人たちをうならせるような、高いセンスが求められていたようです。

『柴田是真作 酢漿草蒔絵煙管筒と 更紗煙草入れ』(メトロポリタン美術館)
『柴田是真作 酢漿草蒔絵煙管筒と 更紗煙草入れ』(メトロポリタン美術館)

文人たちに愛された茶道具における更紗

更紗は茶道具によく取り入れられ、徳川家康に仕えた茶人・小堀遠州は部類の更紗好きだったことでも知られています。茶道というと抹茶を連想する方も多いと思いますが、これは主に武家社会に浸透していたもの。文人墨客を中心とした庶民の間では、葉茶を急須で入れる煎茶が普及しており、煎茶を嗜む際の仕覆(しふく)や敷物、袱紗など表道具を中心に更紗生地が使われていたようです。

台紙に貼ってオリジナルの更紗コレクションに

『前田家伝来名物裂帖』 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
『前田家伝来名物裂帖』 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

茶道具などに仕立てられて余ったハギレは、台紙に貼って手鑑、いわゆる見本帳にすることもあったのだそう。眺めるだけでも心満たされるような絵画的な柄と、モノを大切にした江戸っ子のエコ精神の賜物なのか、今でいうスクラップブックのような形で保管。更紗は単なる粋人好みの柄というだけでなく、芸術品のような存在だったのかもしれません。

更紗をDIYしていた!?趣味としての染織

江戸時代は出版文化の発達に伴って、それまで秘伝だった各種染色技法を紹介した指南書、いわゆるハウツー本が数多く出回りました。更紗も例外ではなく『佐羅紗便覧』や『更紗図譜』といった書が刊行され、後者はなんと大正時代まで続くロングセラー本になったのだそう。これらは単に技術を紹介するだけではなく、素材の入手方法や手軽に染色するコツなど、一般の趣味人を対象にした内容になっているのが特長。こういった指南書を見て、実際に自分で染色する人々がいたことがうかがえます。 その芸術的な模様と悠久の色彩美で、江戸の趣味人たちを夢中にさせた更紗。この機会にぜひ着物や帯に取り入れて、更紗ならではの装いを楽しんでみてはいかがでしょうか。

【参考資料】
・吉岡幸雄『更紗』(京都書院美術双書)
・小笠原小枝・監修『更紗』(平凡社)
・丸山伸彦『江戸のきものと衣生活』(小学館)
・小笠原流煎茶道・高橋矩彦・編集『江戸更紗柄図鑑』(スタジオ タック クリエイティブ)


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