[プレスリリース]平城京左京三条一坊二坪の発掘調査(平城第658次調査)出土木簡について
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概要
発掘調査に関する記者発表の後、大土坑の掘削を実施した結果、1000点以上(20240318)の木簡が出土した。その結果、以下の点が明らかになった。
・「大嘗分」と書かれた木簡が出土した。
・木簡に書かれた年紀からこの大嘗祭は聖武天皇のものと考えられる。
・新たな課題も多く、今後も整理作業の進捗に合わせて公表が必要と考えられる。
1.調査の概要
今回の調査については、1/25に記者発表を実施し、その概要をお伝えしました。その際には、
①計画的に配置された掘立柱建物群や坪内を区画する掘立柱塀を確認した。
②多数の土坑とそこに捨てこまれた礎石を確認した。
③左京三条一坊二坪における土地利用の実態が明らかになった。
の3点をご報告しました。その際、調査地の官衙比定については言及せず、発表時点では掘削を行っていなかった大土坑の掘削を行った後に、その出土遺物を踏まえてご説明したい旨、お話申し上げたところです。
その後、大土坑を掘削したところ、木簡が出土しました。現時点で約1000点、最終的には1500点程度になると見込まれます。この出土木簡中に、非常に注目されるものがありましたので、これについて先行してご報告申し上げます。
なお、現場からは整理用コンテナ約250箱の土を持ち帰って、洗浄中です。
2.木簡出土遺構の概要
木簡は調査区東北で検出した、大土坑から出土しました。大土坑は、平面ほぼ方形を呈し、東西2.8m、南北2.5m、残存する深さは1.0mです。
最下層には木片を中心とした有機物を敷き込み、その上に粘土を積んで埋め、さらにこれをもう一度掘り起こして再び最下層に栗皮・木の葉を主体とする有機物を敷き込み、粒度をあえて不均一に調整した土を積み、さらにこの土を掘り起こして砂層と粘土層を交互に積んで埋めています。非常に入念な埋め方をしており、当該地点を再利用するために地盤沈下が起きないよう十分な埋め戻しを行ったと考えられます。
木簡は、有機物層、特に最下層の有機物層から多く出土しました。
木簡以外では、上層有機物層で栗皮・木の葉が、下層有機物層では加工木片・木の枝・蓆(むしろ)等が出土しました。また、数は少ないものの土器も出土しており、奈良時代前半に属する遺物と判断されます。
3.注目される出土木簡
主な出土木簡は、別添資料の通りです。
A 大嘗祭に用いる物資につけられていた木簡(1・2・3・4)
「大嘗分」という記載から、これらの荷札木簡が大嘗祭のための物資に取り付けられていたことがわかります。
B 木簡の時期(5・6)
木簡に見られる年紀は、養老7年・神亀元年(5・6)です。完全な下限を示すものではありませんが、神亀元年に集中していることから、木簡はほぼこの時期のものと判断することができます。また「大嘗分」と書かれた木簡は郷里制(717~740)下の木簡で、この時期に即位している天皇は聖武天皇のみです。
4.出土木簡の意義と課題
現段階での出土木簡の意義は、概要に示した
1 「大嘗分」と書かれた木簡が出土した。
2 木簡に書かれた年紀からこの大嘗祭は聖武天皇のものと考えられる。
3 新たな課題も多く、今後も整理作業の進捗に合わせて公表が必要と考えられる。 という3点です。
大嘗祭は天皇即位後最初の新嘗祭です。近年今上陛下の即位に際して挙行されたことは記憶にあたらしいところです。