【名城大学】外国語学部の鈴村裕輔准教授が「政治家 石橋湛山」を出版
初出馬の総選挙で落選、わずか65日で首相退陣…政治家としての湛山に焦点を当てる
本学外国語学部の鈴村裕輔准教授が、戦前は言論人として名をはせ、戦後は政界に活動の場を移した石橋湛山(1884~1973年)の政治家としての足跡に焦点を当てた「政治家 石橋湛山 見識ある『アマチュア』の信念」を、中央公論新社から出版しました。鈴村准教授は「これまでは言論人としての石橋湛山研究が大半でしたが、政治家としての石橋湛山を知るにはこの本を手に取っていただければ」と話しています。
2023年でちょうど没後50年となる石橋湛山は、戦前は言論人として経済専門誌「東洋経済新報」を拠点に活動。一貫して日本の植民地政策を批判するなど戦前日本を代表する自由主義者でしたが、戦後は政界に進出して現実政治の世界へ。大蔵、通産大臣などを歴任して1956年には自民党総裁選で当選し、首相となるものの病気のためわずか65日で退陣を余儀なくされたことで知られています。
鈴村准教授は法政大学大学院に在籍中の2003年、講義を受けた講師から石橋湛山についての論考を紹介され、興味を抱いたのが石橋湛山研究を始める契機となりました。しかし、研究を進めると、「石橋湛山に関する著作や論文は戦前が7割、戦後は3割と政治家としての石橋湛山研究はおまけで、資料もなかった」(鈴村准教授)ことが分かりました。そこで、鈴村准教授は政治家としての活動に注目し、総選挙の得票数など一次資料の収集から取り組みました。
「湛山の具体的なイメージを持ってもらうきっかけになれば」と鈴村准教授
その集大成となる「政治家 石橋湛山」では第1章で、初めて出馬して落選の憂き目にあった1946年の総選挙について、演説会での動員力の低さや惨敗を裏付ける得票率などを収集した一次資料をもとに解説。さらに、2・3位連合により決選投票で当選した自民党総裁選、退陣に際して病状の診断に苦悩した医師団など石橋湛山をめぐる豊富なエピソードを紹介したほか、日中国交正常化への尽力や理想主義者から現実主義者への転換といった石橋湛山の知られざる側面なども詳述しています。
「ライバルだった岸信介が『見識ある人』と評価する一方で、不利になっても信念は揺るがず、政治家に必要な根回しや腹芸ができなかった石橋湛山を側近は『アマチュア』と評したことから、この副題を付けました。本を通して石橋湛山の具体的なイメージを持ってもらうきっかけになれば」と鈴村准教授。石橋湛山研究について「まだまだ開拓の余地があります。石橋湛山の全生涯を追った本の執筆や政界でのライバルとの関係の研究なども進めていきたい」と意欲を見せています。
中公選書「政治家 石橋湛山 見識ある『アマチュア』の信念」は四六版、320ページ、2200円(税込)。