糖尿病網膜症・黄斑浮腫の低侵襲早期診断法の確立とフェノフィブラートナノ粒子点眼による新規低侵襲治療法確立への可能性
【概要】
日本大学医学部附属板橋病院眼科(主任研究者:診療教授 長岡 泰司、准教授 横田 陽匡、専修医/大学院生 花栗 潤哉、主任教授 山上 聡)、近畿大学薬学部(准教授 長井 紀章)と明治薬科大学薬学部(教授 櫛山 暁史)らの研究グループは、2型糖尿病モデルマウスにおいて早期から引き起こされる網膜血流調節障害を評価指標として、ナノ粒子化したフェノフィブラート点眼による糖尿病網膜症予防の可能性を検討し、フェノフィブラートナノ点眼薬がこの早期網膜血流障害を改善することを発見しました。またフェノフィブラートナノ点眼薬は網膜内で糖尿病網膜症・黄斑浮腫の主要責任分子である血管内皮増殖因子(Vascular Endothelial Growth Factor:VEGF)および網膜グリアの指標となるGFAP(Glial Fibrillary acidic protein)の活性化や水を透過させる水チャネルであるアクアポリン(Aquaporin:AQP)の一つであるAQP4の発現を抑制し、さらにフェノフィブラートがアゴニストとして働くことが知られているぺルオキシソーム増殖剤活性化受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor:PPAR)のサブユニットであるPPAR-αのリン酸化を増加させました。この研究成果は世界初の糖尿病網膜症治療用点眼薬の開発につながる発見であると考えています。
本研究は、日本大学、近畿大学および明治薬科大学の共同研究の成果であり、この研究結果を報告した論文は、2022年2月9日(欧州時間)に「Pharmaceutics」誌に掲載されました。
【研究内容】
糖尿病の主な合併症の一つである糖尿病網膜症は未だに失明原因の上位となっている重要な疾患であり、治療法としてはこれまで網膜光凝固(レーザー)や手術などの侵襲的な外科治療のみでした。これらの治療は視力を脅かすほどに進行した網膜症に対して行われますが、一度低下した視機能を回復させるのは容易ではなく、視力が良好な早期網膜症あるいは網膜症が発症する前からの治療が重要です。したがって糖尿病網膜症の超早期の段階で有効な新しい薬理学的治療が必要と我々は考え、研究を重ねてきました。
脂質異常症治療薬として臨床ですでに広く用いられているフェノフィブラートはPPAR-αのアゴニストとして働きますが、これを内服することで糖尿病合併症に対しても有益な効果を示すという報告が数多くあります。しかしながら内服する場合は薬の重篤な副作用のリスクを考えなければなりません。そこで我々はこのフェノフィブラートを全身への作用を最小限にして眼局所のみに作用を発揮させられるように点眼薬として糖尿病網膜症治療に用いることができるか検討しました。
従来の点眼薬では眼球の後部にある網膜まで薬剤を有効濃度で浸透させることは困難でした。近畿大学薬学部のグループが開発した方法でナノ粒子レベルまで粉砕した点眼薬ではエンドサイトーシスによる角膜での透過性を亢進し、また眼内で強膜やぶどう膜を高濃度で通過することで網膜にまで高濃度で到達することが可能であり、今回の共同研究でこのフェノフィブラートのナノ粒子点眼を世界で初めて作成し、マウスおよびウサギを用いた動物実験において、角膜を透過して前房内に入り、強膜ぶどう膜経路を介して実際に網膜まで有効濃度で到達することを確認しました。
さらに我々は以前に2型糖尿病マウスを用いて、糖尿病網膜症発症前から網膜血流障害の程度が糖尿病による網膜機能障害の定量的指標になることを確認しており、今回もこの網膜血流に着目してフェノフィブラートのナノ粒子点眼の効果判定を行いました。特にフリッカー刺激(点滅光)に対する網膜血流増加反応には神経細胞やグリアが密接に関与しており、この現象は神経血管連関(neurovascular coupling)(注1)として広く認知され、糖尿病ではこの神経血管連関が糖尿病発症早期から障害されていると考えられています。我々はフリッカー刺激と高酸素吸入の2つの負荷に対する網膜血流反応を用いて、網膜神経、網膜グリア、網膜血流の中でも、特にこれまで評価が困難であった網膜グリア機能を評価することに成功しました。その評価法を用いて以前に我々は2型糖尿病モデルマウスにおいて早期からこれらの負荷に対する網膜血流反応が障害されていることを明らかにしました。したがってフェノフィブラートナノ点眼がこれらの早期障害を改善させるか否か検討することとしました。
本研究では、6週齢の2型糖尿病マウスを媒体のみで薬物効果のない基剤を点眼した無治療対照群とフェノフィブラートナノ点眼をした治療群とにわけて毎日朝夕の2回点眼を行い、8週齢から14週齢まで隔週で網膜血流測定を行いました。その結果、フェノフィブラートナノ点眼群では安静時の網膜血流に影響を与えなかったにもかかわらず、フリッカー刺激および高酸素吸入に対する網膜血流反応をいずれも8週齢から改善させ、この反応は14週齢まで持続していたことがわかりました。
さらに同一個体の免疫組織学的検討では、無治療糖尿病群では網膜グリア障害の指標となるGFAPが亢進し、さらに糖尿病網膜症・黄斑浮腫の責任因子であるVEGFの発現も増強していましたが、フェノフィブラートナノ点眼糖尿病マウスでは両者はいずれも抑制されており、フェノフィブラートナノ点眼により網膜グリア機能が保護され、VEGFは抑制されることがわかりました。さらに網膜組織内の水分調節に重要な水チャネルであるAQP4の発現が無治療糖尿病マウスでは低下していましたが、フェノフィブラートナノ点眼によりこのAQP4発現低下も改善されていました。これらの結果から、フェノフィブラートナノ点眼が網膜まで効率的に浸透し、その長期投与によりPPAR-αのリン酸化を介して網膜グリア機能障害を改善し、2型糖尿病マウスの網膜血流反応障害を改善させた可能性があると考えられました。
さらにVEGFの発現亢進やAQP4の発現低下もフェノフィブラートナノ点眼により改善されたことは、糖尿病網膜症のみならず糖尿病黄斑浮腫の治療への応用も期待されます。糖尿病黄斑浮腫の治療としては現在抗VEGF剤の硝子体注射が第一選択ですが患者の負担も大きい治療であり、このフェノフィブラートナノ点眼で低侵襲治療が可能となれば糖尿病網膜症や黄斑浮腫の予防のみならず既存の治療法との併用でさらなる効果的治療にも役立つと考えています。低侵襲的な新規糖尿病網膜症治療法としてフェノフィブラートナノ点眼の今後の可能性に期待が高まります。
【今後の展開】
本研究成果からフェノフィブラートナノ点眼が糖尿病網膜症・黄斑浮腫の発症予防や早期治療法となる可能性を見出しました。今後はまず前臨床試験として眼球構造や形態が人眼と類似するブタを用いてこの治療の再現性と安全性の検討を行い、将来的には臨床研究にて糖尿病網膜症・黄斑浮腫治療薬としての効果の検討を行い、全国で1000万人以上いるとされる糖尿病患者の視機能を守りたいと考えています。
【用語解説】
(注1)神経血管連関(neurovascular coupling):神経の興奮に伴って血管が拡張し血流が増加する生理現象。
【本研究について】
本研究は、JSPS科研費20K08811及び2019年度上原記念生命科学財団・研究助成の助成を受けたものです。
【関連リンク】
薬学部 医療薬学科 准教授 長井 紀章(ナガイ ノリアキ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/427-nagai-noriaki.html