[プレスリリース]日高山瓦窯の発掘調査(飛鳥藤原第213 次)

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概要

日高山瓦窯において合計6 基の瓦窯を発見し、その構造を明らかにした。日高山瓦窯では、複数の窖窯(あながま)と平窯(ひらがま)を併用する、大規模な瓦生産体制が整えられていたことが明らかとなった。藤原宮の造営を支えた瓦生産工房の操業実態を示すとともに、古代東アジア的視点から日本における造瓦技術の導入と伝播を考える上で重要な成果といえる。

1. 調査の経緯と目的

 日高山瓦窯は、藤原宮に供給した瓦を焼いた瓦窯である。藤原宮の瓦窯の中で最も宮の近くに立地し、これまでの発掘調査から、藤原宮大垣を中心に瓦を供給していたことがわかっている。また、軒瓦の同笵関係の検討や宮内での出土状況から、藤原宮造営初期段階に操業した瓦窯であることも指摘されている。このように、日高山瓦窯は藤原宮の造営過程を考える上で重要な遺跡であるにもかかわらず、その詳細な構造や分布は不明な部分が多かった。そのため、今回、日高山瓦窯の解明に向けて、瓦窯の範囲確認および具体的構造の把握を目的とした発掘調査を実施した。
 日高山瓦窯は藤原宮南門の南約300m にある日高山丘陵北端に存在し、東側には藤原京朱雀大路が縦断する(図1)。現在は日高山児童公園として利用されている。日高山瓦窯の発見は1960 年にさかのぼり、児童公園の改修工事の際に多量の焼土が確認されたことをうけ、奈良県教育委員会によって調査がおこなわれた。その結果、藤原宮期には類例の少ない平窯1 基が確認され、日乾レンガを積み重ねた特異な構築方法も注目された。
 1975 年には日高山丘陵北裾部において、市営住宅建設工事にともなう事前調査を奈文研が実施した(第17 次)。丘陵斜面を削平して掘られた素掘溝SD1845 から焼け歪んだ瓦や日乾レンガ、焼土、木炭が多量に出土し、複数の瓦窯の存在が想定されることとなった。その後、1977 年に奈文研埋蔵文化財センターが磁気探査を実施したところ、丘陵西斜面から北斜面にかけて、合計4基の瓦窯が存在する可能性が判明した。
 これをうけ、1978 年に公園西法面改修工事にともなう事前調査を奈文研が実施した結果、西斜面において窖窯1 基、平窯1 基が検出され、異なる構造の窯が共存することが明らかになった。この調査以降、1978 年の調査でみつかった窖窯を1 号窯、平窯を2 号窯、磁気探査で存在を推定した窯を3号窯、1960 年に調査された窯を4 号窯と呼称しており、今回もその呼称を踏襲している。
 2021 年からは、既往の調査成果の検証および範囲確認を目的とする学術調査を実施している。まず、2021 年に周辺の地形測量および磁気探査、地中レーダー探査を実施し、かつて存在が確認あるいは想定された4 基に加え、さらに複数の窯が存在する可能性を指摘した(第207-3 次)。今回の調査では、上記の探査結果を踏まえて調査区を設定した(図2・3)。1・2 区は1・2 号窯を再発掘し、瓦窯の詳細な構造を解明することを目的とした。3 区は3・4 号窯の所在確認および瓦窯の詳細な構造の解明、未知の瓦窯の所在確認とその構造解明を目的とした。

2.調査の成果

(1)1 号窯

基本構造 半地下式有階有段窖窯。1978 年の調査で発見した瓦窯の燃焼部・焼成部・煙道を再検出した。検出長4.8m、最大幅3.5m。焚口および燃焼部の一部は失われている。地山を平面長方形に掘り込み、内側0.5m の範囲に粘土と砂を版築状に互層に積み上げる。さらにその内側に厚さ0.2m のスサ入りの粘土を貼り付け、窯壁を構築する。
燃焼部 検出長0.8m、最大幅1.8m。高さ0.5m の階によって焼成部と区分される。床面は地山が一部露出し、側壁にはスサ入りの粘土を貼る。
焼成部 全長3.5m、最大幅1.8m。床面は階段状に成形されており、側壁にはスサ入りの粘土を貼る。
煙道 焼成部奥に1本の煙道を備える。部分的に日乾レンガを用いて構築し、幅0.3m、奥行0.6m の平面半円形でほぼ垂直に立ち上がる。

(2)2号窯

基本構造 半地下式有階平窯。1978 年の調査で発見した瓦窯の焚口・燃焼部・焼成部・煙道を再検出した。全長4.5m、最大幅2.3m。窯の北半は失われているが、周辺に被熱痕跡が残る。平面杓子形に地山を掘り込み、掘り込みに沿って日乾レンガを長手方向に積み上げて窯壁を構築する。日乾レンガの目地や表面にはスサ入りの粘土を貼る。焚口西方斜面には灰原が広がっていたことが1978 年の調査で判明している。
焚口 幅0.5m。燃焼部の狭端に日乾レンガを側壁に対して直交方向に積み重ねる。
燃焼部 全長1.2m、最大幅1.4m。高さ0.4m の階によって焼成部と区分される。中央でややくぼみ、焚口にむかってすりあがる。炭を含む黒褐色土が厚く堆積し、その上位に瓦が散乱していたことが過去の調査で判明している。
焼成部 全長2.4m、最大幅2.3m。側壁残存高0.6m。床面はわずかに傾斜し、地山の岩盤に0.1m 程度の粘土を貼り付けたものが硬化して残存する。
煙道 焼成部奥壁南側に複数の日乾レンガが存在し、煙道の残存部と考えられる。その他の煙道は地山を削り出した痕跡がわずかに残り、後述の4 号窯と同様、3 本の煙道を備えていたとみられる。それぞれ検出幅0.7m、奥行0.4m。

(3)3 号窯

基本構造 1977 年の探査で存在が推定されたもの。第3 区西端で燃焼部を検出したが、全体の構造は不明である。2 区北東隅には被熱痕跡があり、周辺に3号窯の焼成部、または煙道が存在するとみられる。
燃焼部 検出長0.7m。最大幅1.2m。白色粗砂を主体とする土で窯壁を構築する。内部には炭を含む黒色土が堆積し、上位に天井土の一部とみられる粘土の硬化層が存在する。

(4)4号窯

基本構造 半地下式有階平窯。1960 年の調査で発見された瓦窯の焚口・燃焼部・焼成部を再検出した。全長3.6m のうち、2.5m 分を検出した。最大幅2.2m。残存高0.6m。基本構造や平面形は2 号窯とほぼ共通し、平面杓子形に地山を掘り込み、その内側に一部粘土で裏込めをしながら日乾レンガを長手方向に積み上げて窯壁を構築する。
焚口 幅0.6m。燃焼部の狭端に日乾レンガを側壁に対して直交方向に3段積み重ねて焚口をつくる。窯内に残された人頭大の河原石は焚口の閉塞に用いたものとみられる。
燃焼部 全長0.9m、最大幅1.5m。高さ0.3m の階によって焼成部と区分される。2 号窯と同様に中央がくぼむ。床面は岩盤が露出しているが、1960 年調査当時は木炭や灰が0.1mほど堆積していたことが確認されている。
焼成部 全長2.0m。最大幅2.2m。床面は岩盤が露出し、2 号窯と同様、わずかな傾斜をもつ。1960 年調査当時は床一面が焼土で埋まっていたことが報告されている。
煙道 1960 年の調査で3 本の煙道が確認されている。いずれも日乾レンガを用いた断面方形の煙道であり、斜め上方向に開口していたと報告されている。

(5)5 号窯

基本構造 半地下式有階(有段)窖窯。焚口・燃焼部・焼成部を新たに検出した。検出長2.9m、最大幅1.8m。残存高0.8m。地山を掘り込んでおり、燃焼部および焼成部の側壁の一部に日乾レンガを用いる。
焚口 幅0.6m。燃焼部の狭端に日乾レンガを長手方向に積み、細長い焚口を形成する。
燃焼部 全長1.3m、最大幅1.5m。高さ0.5m の階によって焼成部と区分される。側壁には日乾レンガを用い、多量の瓦が堆積している。
焼成部 検出長1.5m、最大幅1.8m。地山を削り出して傾斜をもった床面を構築する。
灰原 焚口の北方で灰原を検出した。堆積層が複数あり、北方斜面にも広がる。

(6)6 号窯

基本構造 半地下式窖窯。焚口と燃焼部を新たに検出した。検出長1.5m、最大幅2.5m。東西4.7mの範囲の地山を掘り込み、内側最大2m の範囲に粘土と砂を版築状に互層に積み上げる。さらにその内側に厚さ0.2~0.4m の粘土を貼り付けて窯壁を構築する。燃焼部の大半と焼成部は調査区外だが、1号窯と基本構造が共通するため、窖窯と判断した。
焚口 幅0.4m。燃焼部側壁から直交する形で開口部を狭め、焚口を造り出す。灰原が広がる面から0.6m立ち上がり、厚さ0.2m の粘土を貼り付ける。窯全体を掘り込む際に丘陵北斜面を一部切り開き、北方に前庭部を形成したとみられる。
灰原 焚口の北方で灰原を検出した。堆積層が複数あり、北方斜面にも広がる。

(7)出土遺物

 各瓦窯内部および上層の遺物包含層から藤原宮期の瓦、窯構築材である日乾レンガの破片が大量に出土した。5 号窯の燃焼部から軒丸瓦6274Ab が出土した。また、7世紀後半以降とみられる古代の土師器・須恵器を含む、少量の土器片が出土した。

3.まとめ

(1)日高山瓦窯において未知の瓦窯を新たに発見した。

 日高山瓦窯ではこれまで3 基の瓦窯を確認していたが、今回新たに3 基の瓦窯を検出し、合計6基の瓦窯が存在することを明らかにした。2021 年度に実施した探査では、丘陵東斜面に瓦窯の存在を示唆する反応が複数得られており、瓦窯の数はさらに増加する可能性が高い。これまでの研究から、日高山瓦窯は藤原宮の造営過程の中でも初期に操業した瓦窯であることが指摘されており、藤原宮造営初期に複数の瓦窯を備えた大規模な瓦生産体制が整えられていたと理解できる。

(2)日高山瓦窯の瓦窯構造の詳細を明らかにした。

 日高山瓦窯では、窖窯に加え、日乾レンガを用いた平窯を新たに導入し、異なる構造の窯を併用した操業がおこなわれていた。ただし、今回検出した窖窯には大きな掘り込みと版築を備えたものもあり、6世紀以来の窖窯とも様相を異にする。さらに、平窯についても平面形や窯の構築方法には個体差が存在するなど、その実態は多様であることも明らかとなった。日高山瓦窯は、平窯導入直後の瓦窯の操業実態を示す好例であり、7 世紀末以降の造瓦技術の変遷を考える上で貴重である。

(3)古代の造瓦技術の変遷と伝播に関する重要な成果を得た。

 日本における日乾レンガを用いた平窯の瓦窯は、現状、日高山瓦窯が最古例である。藤原宮に瓦を供給した瓦窯は複数存在するが、奈良盆地外を含め、日高山瓦窯以外に平窯の導入は現状認められない。日高山瓦窯の平窯に近い構造をもつ瓦窯は中国に類例があり、その瓦窯の導入において、中国との関連が想定できる。日高山瓦窯における日乾レンガを用いた平窯の存在からは、日本で初めての瓦葺宮殿を建造するにあたって、海外の技術を取り入れながら、瓦生産をおこなっていた状況がうかがえる。古代東アジア的な視点で日本における造瓦技術の変遷と伝播を考える上で、重要な成果を得ることができた。

※基本用語
窖窯(あながま): 焼成部が傾斜する構造の窯。瓦窯では斜面に階段状の段をもつものが多く、段は地山を削り出すものや、瓦や磚を利用するものがある。
平窯(ひらがま): 焼成部が平坦か、極めてゆるい傾斜をもつ構造の窯。
地下式(ちかしき): 地山をトンネル状に掘り込み、天井を含めて地山で構築する。
半地下式(はんちかしき): 地山を平面的に掘り込み、天井は別途粘土などを用いて構築する。
焚口(たきぐち): 燃料となる薪をくべる部位。
燃焼部(ねんしょうぶ): 薪を燃やし、炎をおこす部位。
階(かい): 燃焼部と焼成部を区別する段差。
焼成部(しょうせいぶ): 製品の瓦を置く部位。
煙道(えんどう): 窯の中の煙を外に排出する部位。
前庭部(ぜんていぶ): 焚口の前の空間。
灰原(はいばら): 窯内部の焼成不良品や灰をかき集めて堆積したもの。前庭部に広がることが多い。
日乾(ひぼし)レンガ: 粘土を型に詰めて直方体に成形し、日光で乾燥させたレンガ。日高山瓦窯の日乾煉瓦はその中にスサ(粘土のつなぎになる藁などの材料)を多く含む。


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