海外に出ていく日本人の為のドレスシャツ!着る人のパフォーマンスと美意識のどちらも満足させるデッコーロウォモ

STORY Vol.08 – 西村翔太郎 氏(バイオリン製作家)

decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツに初めて袖を通した時には、その伸縮性に驚きました。concorde(コンコルド)という開発されたニット素材は、まるでスポーツ用カットソーを着ているかのように体にフィットし、動きを妨げるどころか、腕の振りなどをサポートしてくれる感覚があります。シャツという見た目の先入観を見事に裏切ってくれましたね。

イタリアに住んでいると、周りのイタリア人に比べて自分の華奢な体型が気になるときがあります。この国では流行に関係なく、ラテン系のその恵まれた体型から、厚い胸板や広い肩幅をこれ見よがしに見せつけるタイトな服装の人が多いのです。decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは体にタイトフィットするので、華奢さが目立ってしまうのではないかと危惧しましたが、実際に着てみると杞憂に終わりました。立体的なフォルムになっていて、肩のラインが内側に入る事によって肩幅を強調してくれたり、胸板をより立体的に見せてくれるなど、必要なところにはボリュームが出て、絞ってほしいところはしっかりと体に沿う。鍛え上げたかのような整った体型に見せてくれます。おかげでdecollouomo(デッコーロウォモ)を着ているとイタリア人と肩を並べても、引け目を感じることがありません。decollouomo(デッコーロウォモ)はイタリア語ですが、海外に出ていく日本人の為のシャツだと思います。

機能だけではなく、デザイン性も気に入っています。襟がコンパクトで普遍的な形をしているので、どの様なスタイルにも合わせることが出来ます。日頃、お客様の前で作業するときは、イタリアでは一般的な作業着であるショップコートの下にシャツを着ますが、そのままショップコートを脱いでお客様とレストランにいっても、シワひとつ出来ていませんし、フォーマルなジャケットの下にも合うので、コーディネートにも困りません。また仕事でヨーロッパとアジアを行き来しているので、飛行機での長時間の移動も多いのですが、皺にならないので飛行機を降りたらそのまま仕事に向かえます。高温多湿の東南アジアでは汗なども気になるのですが、吸水速乾・吸放湿・防臭効果が高いことによって快適に過ごせるので助かっています。私が製作しているバイオリンは、音や弾き心地といった機能性と、見た目の美しさの両立が求められます。使用する人のパフォーマンスと美意識のどちらも満足させる。このdecollouomo(デッコーロウォモ)のシャツはまさにそれが両立されていて、とても共感のもてる製品です。



デヴィット・オイストラフ-Davio Oistrakh の音に魅せられたバイオリンの世界

幼少期から物を作ることが好きでした。特に折り紙がとても好きで、50枚ほどのパーツを組み合わせて幾何学的な立体を作る折り紙に特に熱中していました。一人で物を作ることが好きな一方、人前で何かをすることを臆するタイプではなく、それが今の生活や活動に繋がっていると感じます。現在、実家は長崎県なのですが、生まれは京都です。9歳までを京都で過ごし、その後、長崎県の佐世保市に移りましたが、話し言葉は関西弁のままです。今思うと、自己主張が強かったのだと思います。マイペースだともよく言われていました。この性格が、欧米文化に比較的溶け込みやすかったのかもしれません。

中学生の頃に管楽器を弾いていて、楽器を作る仕事に就きたいと思うようになり、管楽器職人に興味を抱いたのですが、調べていくうちに自分の目指す仕事ではないと思うようになりました。管楽器は一人で全ての工程をこなすことはほとんど無く、そして20年も使うと買い換える事が多いのです。丁度その時に、たまたまテレビで放送していた20世紀を代表するバイオリニスト「デヴィット・オイストラフ-Davio Oistrakh」のドキュメンタリーに惹き込まれました。画面から聞こえてくるバイオイリンの音に、心を奪われたのです。次の日には直ぐにオイストラフのCDを買いに行き、バイオリンについて調べるようになりました。そこで知ったのは、バイオリンは木を切る所から最後の仕上げまでを一人で行い、時間が経てば劣化するどころか成長していく、300年以上前の楽器が現役で使われているということでした。まさに自分が探していたモノ作りの世界がそこにありました。

中学3年生になる頃には東京、大阪、京都、福岡と回れるだけのバイオリン工房を訪ねて周り、バイオリン製作家になることを決意します。工房を回る中で、沢山の職人の方が、本場イタリアで学んだほうが良いと助言してくださり、高校一年生でイタリアに行き本場の雰囲気を実際に自分の肌で確かめ、本場イタリアで学ぶことを決意しました。そして、高校時代は勉強机を改造して、見よう見まねで自宅でバイオリンを作り出しました。最初に作ったバイオリンでバイオリンの演奏のレッスンにも通いました。ただ、バイオリンとは名ばかりの音が出る箱といったところで、今思い出すと恥ずかしい思い出です。卒業して直ぐにイタリアに渡りました。ミラノのバイオリン製作学校に入学し、その後、活動拠点をクレモナに移し、現在に至ります。今年でイタリアに渡って17年。人生のほぼ半分をイタリアで過ごしたことになります。

ユネスコ世界無形文化遺産に指定されたイタリア・クレモナのバイオリン製作家

バイオリン製作家とは、その名の通りバイオリン族、バイオリン、ビオラ、チェロそしてコントラバスまでを製作する職業です。クレモナのバイオリン製作家は2017年ユネスコ世界無形文化遺産に指定されました。バイオリン職人というと、少し広い枠組みになります。楽器を作る製作家、修理をする修復家や修理人などに別れます。そして製作家の中でも、新しい見た目の楽器を作る製作家、わざと古い楽器のように作る製作家、実在する古い楽器をコピーする製作家などに細分化していきます。私は新しい楽器を作る製作家に属します。古い見た目の楽器などは製作しません。憧れた、歴史上の巨匠たちのように、新しいスタイルを提案する事を志しているからです。日本人は昔から全体の製作家の比率を考えると、とても多い業界です。日本はアメリカに次いで、楽器の購入が多い国で、マーケットがとても大きいのが一つの要因です。10年ほど前までは日本人学生が急激に増えていましたが、近年はそれほどでもなく、韓国人や中国人などが急激に増えている状況です。

イタリア・クレモナは世界的なバイオリンの街

初めミラノで活動を開始し、現在のクレモナへ活動拠点を移しました。ミラノからクレモナに移したのは、様々の理由があるのですが、一番はやはりクレモナは長いバイオリン製作の歴史の中で、常にバイオリン製作の中心で有り続けているからです。バイオリン製作が世界的なものになった今でも、ここまで情報が集まり、同業者とフラットな関係で日常的に意見交換できる場所は、やはりクレモナしかありません。そしてもう一つは個人的なことですが、ミラノに住んでいると様々なジャンルのクリエイティブな人達が居て、とても楽しいのですが、自分の興味の湧く他の事に意識が散ってしまうので、自分をよりストイックに追い込むためにクレモナに移ったという経緯もあります。

クレモナは人口8万人ととても小さいな街ですが、古い町並みが残っていて、風光明媚な街です。現在、購入した家は築100年ですが、クレモナではまだまだ新しい物件です。以前に住んでいた家は築300年以上でした。大聖堂の横についている鐘楼が街のシンボルで、高さ112mとヨーロッパで一番高い鐘楼です。隣の街からでも見え、日本から帰ってくる時にこの鐘楼が見えてくると、頭の仕事のスイッチが入ります。クレモナは世界的にバイオリンの街として知られています。1500年初頭に、ここクレモナでアンドレア・アマティという人が、バイオリンを単なる音を出す道具から美術工芸品のレベルにまで高めて以来、クレモナはバイオリンの街になりました。ストラディバリやガルネリという名前を聞いたことがある方も多いと思います。数億円する楽器として、また有名なバイオリニストが使っている楽器として知られていますね。彼ら二人もこのクレモナの街で活躍したバイオリン製作家です。この街は、数々の天才バイオリン製作家と、そして銘器を生んできました。彼らと同じ街並みで、彼らの楽器を見ながら製作できる事は、本当に恵まれていると感じます。

現在では約150軒の工房があり、約230人がプロの製作家として仕事をしています。学生やアシスタントの人も多く、その人達を含めると倍の人数くらいにはなるのではないかと思います。しかし、街中を歩くだけではそこまでバイオリン製作の街だと感じることはないかもしれません。日本から来られる方で、街中で工房が軒を連ねひしめき合っているものだと期待して来られる方が多いのですが、決してそういうわけではなく、アパートの中に奥まっている工房が多く、がっかりされる方もいらっしゃいます。世界で一番、製作家が集まっている街と言っても工房が150軒程度ですから、やはり珍しい職業であることは確かですね。

イタリア・ミラノ派に惹かれた先駆的な姿勢

イタリアに渡り、本場のクレモナではなくミラノで学ぶことを決めたのは、日本で見たミラノ派の楽器の美しさに惹かれたことです。ミラノ派は1900年代に入り大きく発展したスタイルで、当時ミラノの建築・工芸界を席巻していたリバティ様式に影響を受けたかのような、曲線的でエレガントな造形が特徴です。駆け出しの頃はとにかくミラノ派のスタイルを追いかける事に必死でした。しかし徐々にミラノ派の人達の先駆的な「姿勢」にこそ重要性があると思うようになりました。伝統工芸を受け継ぐ職人として、居合わせた時代や次の時代に向けて、新しいものを提案する事こそが責任であると。

では一体、21世紀に何を提案できるかと考える中で、一つの答えとして発展している音響学を積極的に取り入れ、現代バイオリン製作の”音の精度”を向上させることに注力するようになりました。現在の技術では、使用する木材の選定において、動的ヤング率や減衰率などの音響特性を製作する前から測定できたり、完成した楽器がどの様に振動しているかを数値や3Dイメージで確認できるようにまで進歩しています。しかし、楽器が振動し音を生み出す過程は複雑系であり、木という均質ではないマテリアルを使う特性上、各製作工程で得られる数値はあくまである側面を計測しているだけに過ぎません。その数値をどう解釈し、どのようにコントロールしていくかはやはり経験によります。音響学を取り入れる事で、機械的な仕事になるのではなく、数値をどの様に扱うかという、新たな職人としての経験が問われる時代になったと感じています。

良く彫刻家や木工職人の言葉で「木の声を聴く」などと言いますが、私は木の性格をみて、話し合い、言うことを聞いてもらうイメージでしょうか。その新たな知識と経験量は、若手の私のほうが柔軟に取り入れられ、ベテランよりも分があること事もあります。おかげで最近は、この業界の大御所と言われる世代の人達と集まって、対等に意見交換をする日々です。 日本人として、イタリア人製作家に技術を還元し貢献できる事をとても嬉しく思っています。そして、その成果の一つとして、第一線で活躍するバイオリニストの方々が私の楽器を使ってくれています。古い楽器ほど重宝される業界において、とても嬉しいことです。

製作家の枠を越えた講演活動とボランティア活動

そしてもう一つ、力を注いでいることがあります。講演活動とボランティア活動です。近年クラシック音楽は東南アジア諸国や南米などの貧困地域において、地域の治安の改善や若者の自立支援や、内戦や宗教対立で傷ついた子供たちの心の癒やしを目的とした活動として、新たな広がりを見せています。そんな中、音楽家の方たちは音楽を必要としている子供たちがいると、世界中どこにでもすぐに飛んでいきます。その傍らで、製作家である私は一体何をしているのだろうかと、従来の製作家の仕事の枠に疑問を抱き始めました。そんな思いから5年ほど前から、まずは楽器への理解を深めて貰おうと日本や東南アジアで講演活動などを行ってきました。

そして今年からは本格的に支援活動を開始します。支援が必要な地域では音楽家は居ても、製作家は一人もいません。せっかく各国から楽器が寄付されても、まともに弾ける状態ではなかったり、良いコンディションではなかったりするのです。素晴らしい音楽家と一緒に演奏でき、音楽の楽しみに目覚めた子供たちが、使う楽器に満足できないのは勿体無い事です。逆に楽器が良くなると、音楽の楽しみも倍増します。そこに自分がやれる事があると思っています。まずはマレーシアとミャンマーで、楽器演奏を通して子供たちの自立や音楽セラピーを行っている財団の支援に入る事になっています。支援は一度やって終わりというわけには行きません。その地域がしっかりと自立するまでは支える必要があります。これはライフワークになると思っています。子供たちの笑顔に出会えるのを楽しみにしています。

この様な思いに至る背景には、家族の存在があります。祖父母の代から、私以外の家族は皆、人の助けになる仕事をしています。それを見て育ったので、生き方として、なにかしら人の為になることをする必要があると思ってきました。情熱を注ぐバイオリン製作と、それを通して人助けもできる、とても楽しい時期が来たなと感じています。

欧米文化の中で長年過ごしてきて感じることは、日本人に対する評価や信頼が総じて高いということです。仕事において、既に信頼を持ってもらえていると、スタート地点が違います。それは様々な分野で活躍をされてきた先人の方々のお陰に他なりません。私自身、それに助けられたことが多々あり、次の世代にも受け継げるよう精進していきたいと思っています。そして、もっともっと日本人が世界に羽ばたいていく日を願っています。


西村翔太郎

バイオリン製作家 Violin maker /Liutaio(伊)

公式サイト:http://www.shotaro-violin.info/

バイオリン製作家としてバイオリン・ビオラ・チェロの製作、自身の製作した楽器を使用して、プロの音楽家によるコンサートの開催、日本や東南アジアにて、楽器の歴史や構造についての講演活動をおこなっている。

「全体は細部の総和以上のなにかである。- アリストテレス」
バイオリン製作において、還元主義に陥らないための戒めとして、座右の銘にしています。

2001年 イタリアに渡る
2002年 ミラノ市立バイオリン製作学校に入学
2008年 クレモナに活動拠点を移す
2010年 ピゾーニェ・バイオリン製作コンクール バイオリン部門ゴールドメダル/ビオラ部門シルバーメダル受賞
2011年 ピゾーニェ・バイオリン製作コンクール チェロ部門シルバーメダル受賞
2014年 シンガポールにて、自身が製作したカルテットを使用し、シンガポール・シンフォニー・オーケストラのメンバーによるコンサートを各国大使・シンガポール政府関係者の前で開催する。その後、同じ主要メンバーで毎年コンサートを開催。

<主な楽器所有者>
・アレキサンドル・スプテル 氏 – 元シンガポール・シンフォニー・オーケストラ コンサートマスター及びアーティスティックディレクター
・森下幸路 氏 – 大阪交響楽団 ソロ・コンサートマスター/浜松フィルハーモニー コンサートマスター/大阪音楽大学特任教授
・立木茂 氏 – ビオラ奏者/一般社団法人日本弦楽器指導者協会理事長


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