ストレスを感じないものづくり。アクティブな空の旅をサポートするデッコーロウォモのパイロットシャツ
STORY Vol.13 – 伊藤慎一 氏(プロウイングスーツ・パイロット)
服装を選ぶ時、年々どんどん楽な方にいってしまう傾向があります。とにかく面倒なことが嫌な性格なので、取り扱いが簡単で、着用時になるべくストレスを感じないものばかりを選んでしまいます。仕事でミリタリー・アウトドアの商品を取り扱っているので、普段から、ストレッチが効いているもの、着心地が良いもの、機能的なデザインのものを好んで着用していますね。
スーツやシャツを着て正装する機会もあるのですが、一般的なシャツは、生地が薄くて透けてしまうものや、作りに頼りなさを感じるものが多くて悩んでいました。その点、decollouomo(デッコーロウォモ)の開発されたニット素材concorde(コンコルド)は、ちょうど良い厚みで、しっかりと作りこまれているので良いですね。サラサラしていて肌触りが心地良いですし、衣類内環境が一定に保たれるので、快適に過ごしやすい。
私は腕が太く全体的にゴツい体型なので、普段はゆったりしたサイズのものを着ています。decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、タイトフィットなので窮屈に感じてしまうのではないかと危惧しましたが、実際に着てみると、柔軟にストレッチが効いていて、立体的なフォルムが身体を包み込んでくれるので、違和感が一切ありませんでした。シャツというと堅苦しいと思いがちなアイテムですが、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、見た目はカチッとして見えるのに、着心地はまるでポロシャツのような感覚。また、耐久性と利便性が高いので、繰り返し洗濯しても型崩れしないし、シワにならないので、乾いたらそのまま着ることができる。日常的に取り入れやすい便利なシャツですね。とくに、シャツ1枚で過ごすことが多い春夏シーズンは、半袖タイプをポロシャツやTシャツのような感覚で重宝します。
今後、さらに品質向上されていくということなので、より機能的に、より着心地が良くなっていくことを期待しています。私の場合はアウトドアでアクティブに動くことが多いので、テフロンコーティングなど、汚れがつきにくい機能があったら嬉しいですね。
ただ、どこまで自分ができるのか試してみたかった
子供の頃から高い所が好きでした。
高いところによじ登って飛び降りたり、外で泥んこになって遊んだりするのが好きな子供でしたね。アウトドアに興味があり、小学生の時にはテントを持って奥多摩へキャンプに行って、そのまま1〜2週間家に帰らなかったこともありました。今の時代では考えられないですけどね。。戦争映画を観るのが好きで、サバイバルな世界に憧れを抱いていました。中学を卒業するくらいまでは、キャンプをしたり、モデルガンで遊んだり、戦争ごっこをしたりと、そういう感じでした。高校に入ると、オートバイが流行っていた時代だったこともあって、バイクに夢中になリました。みんなロードバイクに乗っていたのですが、私はアウトドア志向だったのでオフロード。泥の中を走ったりジャンプしたりするモトクロスにハマり、学校が終わったら近くの多摩川へ行って、河原で走って遊んでいました。平日はそうやって練習して、週末はレースに出るという生活。大学時代は、完全にモトクロス中心の生活でしたね。モトクロスのチームに所属して、関東選手権や全日本選手権などにも出るようになっていました。
そうやって何も考えずにモトクロスばっかりやっていたんですけど、大学4年生になってくるとだんだんタイムリミットが来て、、将来どうするんだってことになるじゃないですか?モトクロスのプロレーサーとして食べていくのは難しい。
それ以外だと、モトクロス系のメーカーへ就職するのか?または、全く違う業界で職を探すのか?レースに出て走ることは好きでしたが、その他のこととなるとちょっと違うかなと考えたりして。しかし、全く違う業界といっても何のツテもないし何も思い浮かばない。子供の頃から好きなことというと、アウトドアだったり、サバイバルだったり、銃だったり。。バブル絶頂期で友人が大手企業に就職する中、どこまで自分ができるのか試してみたいという思いが強かった私は、自衛隊に入隊しました。
そうして陸上自衛隊でしばらくやって、アメリカへ渡りました。学生時代にアメリカ旅行へ行ってカルチャーショックを受け、いつかもう一度アメリカへ行こうと思っていたのです。アメリカではサバイバルスクールに入学し、実戦的なスキルを学びました。日本では安全管理を徹底的に学びましたが、アメリカで学ぶことは生き残るための知識と技術。教官はベトナム戦争の経験者だったのですが、教わることがすべて実戦的なので日本とは次元が違いました。疑問を抱いていたことが次々と解決するのが楽しくて、もっと専門的なスキルを身につけようと、色々なスクールに通ったり、現役の方々から学んだりしていました。各国の軍人や要人警護をしている人が受講するVIPの身辺警護スクールや、各国の警察官が受講する閃光弾や催涙ガスのメーカーが運営するスクールなど。それからは、アメリカ警察特殊機動部隊「SWAT」の実戦に参加したり、アメリカ海軍特殊部隊「SEAL TEAM 6」やオーストラリアの陸軍特殊部隊の元隊員の教官からも、銃の扱い方やテロリストの制圧の仕方、山やジャングルでの戦闘実戦を学びました。
グローバル社会に必要不可欠な意識 - リスクコントロール
帰国してからは、「リスクコントロール」というセキュリティー会社を設立し、フィジカルな人間のセキュリティーを専門に運営しています。今まで培ってきたスキルをもとに、自衛官や警察官また、企業の危機管理担当者などに対して、訓練やスクールも行っています。日本の場合は、企業や個人共に、セキュリティーやリスクマネジメントということについてあまり考えられていません。国内にいる分にはまだ安全ですが、その感覚のまま海外に出てしまうとトラブルに巻き込まれる危険性がありますよね。日本だと島国で守られていますが、海外はいろいろな危険がある。特にアメリカは建国の歴史と銃がすごく密接していて、銃に関する意識というのは特別。治安は昔より良くなっていますが、今でも銃を離さないですからね。アメリカで銃を買うとき、特別な許可はいらないんですよ。運転免許証があれば誰でも買えるのです。申請をすると、バックグラウンドチェックといって過去の犯罪歴や精神異常がないかなどを確認されます。問題がなければ、約2週間後にガンショップで購入して、そのまま持って帰れます。取り扱いやメンテナンスに関しての講習もない。実弾もアウトドアショップで大量に売ってます。レジに持って行くと何の確認もなく売ってくれる。日本人とは感覚が違うんですよね。全ては所有者の良識に任せているだけ。ほとんどのアメリカ人はちゃんと管理していて、人に向けて打つなんてことはありえないのですが、やろうと思えば誰でも簡単にできてしまう環境なのです。日本では日常的にシリアスな問題は起こりませんが、グローバルになった現代ではいつ何が起こるかわかりません。そういったことにも備えて、安全のためにセキュリティーやリスクマネジメントということを真剣に考えて欲しいと思います。
鳥のように空を飛びたい!誰もが一度は憧れる夢
スカイダイビングとの出会いは、1988年に初めて渡米した時。本格的に始めたのは、自衛隊を除隊してアメリカへ渡ってからです。すぐにのめりこんで、多い日は1日に13回も飛んでいました。1988年の初降下から2500回以上のフライング経験を積んできましたが、その間にスカイダイビングのインストラクターなど様々な資格を取得しました。
ウイングスーツの実物を初めて見たのは、1999年。
それから7年後の2006年、新しい事にチャレンジしてモチベーションを上げようと思い、ウイングスーツ・フライングに挑戦しました。スカイダイビングのカテゴリーに属するウイングスーツ・フライングは、ダイビング経験を積んだ上級者でなければ、飛ぶことができません。世界の標準ルールでは、最低でも200回、本来は500回以上のスカイダイビング経験が必要です。飛行機からダイブして真下に落ち、下から風を受けながら浮いたような状態になるのがスカイダイビングですが、ウイングスーツ・フライングは、飛行機やグライダーのように滑空して飛びます。飛ぶという意味でいえばパラシュートやパラグライダーと同じですが、ウイングスーツ・フライングは、装具を操るのではなく、自らの身体でウイングスーツをコントロールしながら飛ぶ。鳥が飛ぶイメージに近いですね。落ちるのではなく、本当に飛んでいる感覚。宙返りもできるし、鳥の気分を味わうなら、これ以上のものはないと思います。スーツの翼を支えるのは、自分の手足。その微妙な動き・角度・重心移動などでコントロールするので、自らの身体で飛んでいる感覚があります。だから、爽快で気持ちいい。
初チャレンジは全く思うように飛べませんでしたね。。スカイダイビングのようにエビ反りで飛んでしまって、風を上手く捉えられなかったのです。競技人口が少なく相談できる人もいないので、それからはどのようにしたら空気をキャッチして推進力に繋げられるか、どうやったら自由自在に飛べるようになるか自分で研究を重ねました。操縦マニュアルがあるわけではないので、自らの身体で感覚を身につけなければいけない。手足をこうやったらこう飛ぶということではなく、経験からくる微妙な身体の調整が必要です。身体の軸を真っ直ぐ保ち、手足の微妙な動き・角度・重心移動などの感覚を身につけることで、初めて自由自在に飛ぶことができるのです。
ウイングスーツ・フライングのギネスレコードがあるということを知って、ギネスへの挑戦を始め、5年間でギネス世界記録を6度達成することが出来ました。現在保持している記録は、水平直線飛行距離26.9km、最高飛行速度時速363km、3D総合飛行距離28.707km、68名でのフォーメーション記録の4つ。
ギネスに挑戦する時は、高度1万メートルから飛ぶので酸素は地上の1/3、気温はマイナス50度。ちょうどジェット旅客機が飛んでいる高さです。急激に高度が上がると、血液中の窒素が泡になって脳や体の血管を詰まらせる恐れがあるので、事前に減圧室に入って、万が一低酸素症にかかっても体が動くか確認します。当日も離陸前に純酸素を1時間吸って、血液中から窒素を抜きます。また、事前に航空自衛隊で訓練を受け、低酸素症についても体験してきました。飛行機に乗ってからも、与圧されていないプロペラ機の限界とされる高度1万メートルに達するまでに約60分。極寒の機内で寝袋にくるまって待機し、上空まで達したら特殊な酸素ボンベと酸素マスクを装着して、空へ飛び立つ。滑空時間は約7〜8分。そんな危険で過酷な状況でも、記録に挑戦して、限界を超えていくのが楽しくて仕方がないですね。
ウイングスーツ・フライングは、Newエクストリーム・スポーツとして世界中で注目されてきていますが、大変危険が伴うスポーツです。私自身も、これまで1000回を超えるウイングスーツ・フライングの中で、パラシュートが開かなかったり、記録チャレンジ中にゴーグルが外れて凍傷になったりと、ヒヤリとした経験があリました。ウイングスーツ・フライングは、安全性の確保が一番重要です。TORAYさんと研究開発しているウイングスーツの更なる機能向上、今までのフライング経験から安全マニュアルの整備をするなど、課題はまだありますが、パイロットの安全をしっかり確保した上で、普及活動に力を入れていきたいと思っています。
新しい世界は、挑戦の先にある。「No Limits」
今後の挑戦。2013年、人間密着ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演した時に富士山上空を飛んだのですが、左側に富士山、右側に太平洋が見えて、海外では見たことのない素晴らしい景色でした。次回は富士山の上を飛び越えたい。あとは、もう無理かもしれませんが、東京オリンピック・パラリンピックに出演することです。前回の東京大会でブルーインパルスがしたように、ウイングスーツのパイロットで世界の代表達と上空に五つの輪を描いてみたい。開会式は夜なので難しいですが、近くに東京スタジアムがあるので、そこで行われる競技の初日やイベントなどで飛びたいですね。
若い頃からモトクロスのプロレーサーを目指したり、スカイダイビングのインストラクターになったりと、いろいろなことに挑戦してきました。ウイングスーツに出会ってからは様々な世界記録の更新にチャレンジしてきましたが、誰もやっていないことに挑戦することはすごく楽しいものです。他人の後ろを歩いているだけでは、新しいことは生み出せない。それはどんな仕事でも同じではないでしょうか?まだそこにない道を切り開くことは大変だし、失敗することだってあるかもしれませんが、だからこそやる意味があると思うんです。これからも、挑戦することを恐れず、楽しみながら人生を歩んでいきたいですね。
伊藤慎一
プロウイングスーツ・パイロット/Professional Wingsuits Pilot
オフィシャルサイト http://wingsuits.jp/
・BIRDMAN社Top Gunティーム所属。
・ウイングスーツ BMCI(BIRDMAN社チーフインストラクター)、テストパイロット・開発エンジニアー
・スカイダイビング 米国USPA USPA-Dライセンス
・スカイダイビング 米国USPA Pro-Rating
・スカイダイビング 米国USPA S/L&タンデムインストラクター
・BIRDMAN JAPAN/株式会社リスクコントロール 代表取締役(東京都公安委員会警備業認定)
<プロフィール>
大学卒業後、陸上自衛隊に入隊。その後アメリカのミリタリースクール、アメリカ警察特殊機動部隊「SWAT」、アメリカ海軍特殊部隊「SEAL TEAM 6」、オーストラリアの陸軍特殊部隊元隊員に師事し様々な技術を享受され、危機管理・警護のスペシャリストとしてのスキルを身につける。その一方で、スカイダイビングを経験したことを機に、空の世界にも夢中になる。合計降下回数は2,500回以上。2006年ウイングスーツと出会うとそこでもスキルを磨き、アジア人で初めてウイングスーツインストラクター資格を取得。2010年に最高水平飛行距離のギネス世界記録を樹立。翌年以降もさらに記録を更新し続け、現在は最高水平飛行距離(26.9km)、最高総合飛行距離(28.7km)、最高飛行速度(時速363km)、最多人数フォーメーション(68名)の4部門でギネス世界記録が認められている。日本における唯一のプロウイングスーツ・パイロットとして、Newエクストリーム・スポーツとして注目されている「ウイングスーツ・フライング」の普及活動を行いながら、新しい世界を切り開くために、様々な世界記録に挑戦し続けている。
<記録>
2009年 9月 最多飛行記録 世界第2位記録樹立
2009年10月 最多人数フォーメーション・オーストラリア記録樹立
2009年10月 最多人数フォーメーションPOPS世界記録樹立
2009年11月 最多人数フォーメーション世界記録樹立(米国公式記録認定)
2010年 9月 最長飛行距離16.4km ギネス世界記録樹立
2011年 5月 最長飛行距離23.1km ギネス世界記録樹立
2011年 5月 最高飛行速度363km/h ギネス世界記録樹立
2012年 5月 最高総合飛行距離28.7km ギネス世界記録樹立
2012年 5月 水平直線飛行距離26.9km ギネス世界記録樹立
2018年12月 パラシュートでの水平直線飛行距離46.2km ギネス世界記録樹立
現在、新たな世界記録を更新中。
【6つ目のギネス世界記録樹立!!2018.12.08】
今回認定された記録は、2017年2月末にアメリカ・カルフォルニアで挑戦した高度2万5000フィート(7600メートル)からパラシュートを開傘し、水平直線距離46.2キロメートルで着地した「パラシュートでの最高直線距離飛行記録」。ジェット旅客機の飛行高度と同じ上空は空気が薄いため、離陸前に純酸素を1時間程吸って血液中から窒素を抜き、飛行中も酸素装置を装着する。上空は気温マイナス40度の過酷な環境のため、凍傷にならないように防寒にも備える必要がある。当日は天候や気流に恵まれ、時速約130キロのジェット気流に乗ることができたという伊藤さんだが、パラシュートを開く際、10Gほどの衝撃に耐えての記録達成だった。
<ウイングスーツ (Wingsuit)>
1990年代中頃、フランス人スカイダイバーによって考案された手と足の間に布を張った滑空飛行を可能にした特殊ジャンプスーツ(通称ムササビスーツとも呼ばれる)。 1999年にフィンランドのBIRDMAN社から世界初の市販ウイングスーツが発売され、究極のスカイスポーツとして世界中に普及していく。スカイダイビングのように飛行機やヘリコプターにより上空からや、高い崖からの “BASEジャンピング” により飛び降り自由自在に滑空する。マントを広げて翼をつくり空気抵抗を増やすだけでなく、スーツの中に空気を取り込んで揚力も発生するようになっている。最新のウイングスーツは、飛行機などの実験で使われるエアートンネルで試験し、コンピューターで解析・デザインされており、対地落下速度は50~100km/h、水平平均飛行速度は最大250km/h以上で飛行することが可能。通常のスカイダイビングに較べて、スーツから受ける身体の制約が多くなるため、飛行機からのエグジット方法・空中での姿勢・パラシュートオープン時の姿勢と方法・オープン後の処理・緊急時の対処方法が異なり、トレーニングが必要とされます。