【松林薫】トイレットペーパー不足が映し出す新型コロナ問題の本質

From 松林薫(ジャーナリスト・社会情報大学院大学客員教授)
こんばんは。ジャーナリストの松林です。

メディアが騒ぐ割にみんなどこか「他人事」だった新型コロナですが、先週あたりから雰囲気が変わってきました。政府が大規模イベントの自粛要請に続き一斉休校を呼びかけたことで、生活に具体的な影響が出てきたからでしょう。

そんな中、週末からスーパーではちょっとしたパニックが起きています。棚からトイレットペーパーなどの紙製品が消え、カップ麺やミネラルウォーターまで品薄になっているのです。筆者も近所のスーパーでその光景を目にして驚きました。

報道によると、きっかけはSNSで「マスクの増産によって紙の原料が不足する」といったデマが流れたことだったようです。もっともこれに対しては、すぐにメーカーや小売店が「マスクとは原料が異なる」「在庫は十分にある」「97%は国産」などと打ち消し、噂が間違いであること自体は速やかに周知されました。

ところが、品薄はすぐには解消されませんでした。むしろ、そうした報道を受けて売り場に列ができるといったように、火に油を注いでしまったのです。
これは「予言の自己成就」と言われる現象です。「紙の原料が不足する」という噂が打ち消されてからも列に並んだ人は、明らかに違う理由で行動しているわけです。おそらく「そろそろ家の在庫がなくなりそうだから急いで確保しよう」といった実需や、「今後もこんなデマが流れて品薄になるなら、いつもより多めにストックしておこう」という判断に基づいているのでしょう。その結果、現実に品不足は生じてしまいます。こうして、「予言」に根拠があろうがなかろうが、ある時点からはみんなの合理的な行動の結果、それが実現してしまうわけです。

筆者は金融取材をしていたので、ペイオフ解禁の頃は「予言の自己成就」の怖さについてよく耳にしました。というのも「銀行の取り付け騒ぎ」は、まさにこの典型だからです。デマが発端で人々が預金を引き出し始めると、実際に銀行は倒産しかねません。金庫にある現金は、預かっている額よりずっと少ないからです。だとすると、預金者にとっては銀行に行列ができ始めれば、引き金になった噂が本当かどうかに関わらず、倒産前にお金を引き出すことが「合理的」な選択になってしまうのです。

取り付け騒ぎについては、日銀や政府が「この銀行は潰さない」と宣言して店頭に現金を積み上げて見せたり、パニックが鎮まるまで引き出しを制限したりするのが一般的な対処法です。今回の騒動についても、卸売業者などが在庫を放出すれば、すぐに沈静化すると思います。
ただ、こうしたパニックが起きた背景については、きちんと検証して教訓を導き出しておいた方がいいでしょう。それは、我々が当たり前だと思い込んでいる社会システムは、ちょっとバランスが崩れただけで、簡単に機能不全に陥ることがあるということです。
実は、筆者はオイルショック時のトイレットペーパー騒動についても、発生からちょうど40周年だった2013年に記事を書いたことがあります。発端となった大阪のスーパーでトイレットペーパーの売り場担当をしていた方にインタビューしたのです。

『トイレ紙買い占め騒動、「自分だけでも」の心理働く 当時の仕入れ担当が語る』(2013/9/28 2:00日本経済新聞 電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ16002_W3A910C1000000/

調べて分かったのは、当時も今回と同様、トイレットペーパーの供給体制にはまったく問題がなかったということです。在庫も十分あったし、それについても報道されています。しかし、騒動は拡大していった。今回と同じ「予言の自己成就」が起きてしまったのだと考えられます。
実は、商品の多くは、いつもより少し需要が増えるだけで簡単に品不足に陥ります。メーカーや流通業者はできるだけ在庫を抱えたくないので、厳密に需要を予測し、そのギリギリまでしか供給しないからです。需要が急増しても、長く続くかどうかわからなければ生産や仕入れを増やすのはリスキーです。だから、一時的なパニックだと分かっていれば供給を増やそうとはしません。すると、一種の駆け込み需要が生じて、品薄に拍車がかかってしまうのです。

これは先に品不足に陥ったマスクについても言えます。例年なら、この季節にマスクを買うのは花粉症とインフルエンザの人が中心で、大半の人は見向きもしません。私は花粉症なので、いつも年末にマスクをまとめ買いするのですが、昨年の冬はワゴンセールなどで大安売りしていました。おそらく秋に予測ほど花粉が飛ばず、たくさん売れ残っていたのでしょう。ところが、新型コロナが上陸すると、それまで必要なかった人も買い始めます。確かに転売目的などの「買占め」もあったでしょうが、仮になかったとしても早晩、品不足は生じていたはずなのです。

さて、本題はここから。実は、一連の騒動の原因である新型コロナのリスクも、同じ構造を持っています。これまで分かっている情報を総合すると、このウイルスは感染力が非常に強い反面、毒性は必ずしも高くありません。若くて健康な人の場合は、罹患してもほとんどが無症状や軽症のまま治るようです。このため、「季節性インフルエンザと危険性は変わらない」と楽観視する声もあります。おそらく、政府の対応が後手後手に回ったのも、毒性の低さに油断した面があるでしょう。

ただし、治療法が確立していないため、重症化してしまうと入院期間は長引き、持病を持った人や高齢者は致死率も高くなります。症状が軽い人が多いため、歩き回って感染を広げやすいという困った特徴もあります。
その結果、何が起きるか。突然、患者が集団で発生するわけです。韓国の大邱では、新興宗教の信者の間で蔓延していたことが判明し、パニックになりました。日本に寄港したクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号もこれと近い状況です。
これらの事例でも、重症化した人は一部にすぎません。しかし、それでも地域の医療システムを飽和させるには十分でした。重い肺炎になると、人工呼吸器などを着けないと死んでしまいます。しかし、稼働させるには機材と専門知識を持ったスタッフが必要です。その数には限りがあり、急に増やすことはできません。また、普段から他の病気の患者にも使われているので、そもそも空きはそれほどないのです。

要するに、新型コロナの怖さはその「毒性」ではなく、突然の集団感染により医療サービスの需給バランスを崩してしまう点にあると言えます。これは中国の武漢で感染爆発が起きた時の状況を見れば明らかでした。武漢で死者が急増したのは、重篤な肺炎患者が押し寄せた結果、医療体制が崩壊したからでしょう。
中国の医療水準も、現在はそれなりに高いと考えられます。しかし、そもそも機材繰り、人繰りができなくなれば普通なら助かる病気でも治せなくなります。私たちは「新型肺炎による死者数」に目を奪われがちですが、武漢ではそれ以外の病気や事故の患者も、治療ができずにたくさん亡くなっているのではないでしょうか。

同じ悲劇は日本でも起き得ます。問題の本質は新型コロナの致死率や、その国の医療水準ではないのです。日本の高齢化率は中国や韓国以上です。例えば大きな高齢者施設で集団感染が起きたらどうなるでしょう。その地域の感染病棟はあっという間に埋まり、人工呼吸器などが足りなくなるかもしれません。さらに、医療スタッフの間に感染が広がれば万事休す。新型コロナ以外の治療にも支障をきたします。

しかし、私たちがそうした混乱を事前に想像するのは困難です。これまでの経験から、いつでも質の高い医療サービスを受けられるのは当たり前だと思っているからです。しかし、医療サービスも微妙な需要と供給のバランスの上に成立しています。マスクやトイレットペーパーが突然、店頭から姿を消したように、「ほんのちょっと」バランスに偏りが生じただけで、盤石に見えたシステムがドミノ式に崩壊していく可能性はあるのです。
これは医療以外にも当てはまります。日本は空前の人手不足。どの業界もギリギリの人員で仕事を回しています。物品の在庫管理も厳しくなるばかり。どこにも「余裕(あそび)」はありません。例えば、みんなが家にこもって買い物を通販ですませるようになれば、宅配便サービスはたちまち飽和してしまうでしょう。

日本は芸術的と言っていいほど精緻な社会システムを作り上げました。秒単位で時刻通りに発着する電車や、いつでも必要なものを買えるコンビニ網は、その象徴です。しかし、「無駄」や「あそび」を徹底して排除した効率至上主義のシステムは、すべての条件が予想の範囲に収まっている限りにおいてしか機能しません。私たちは災害大国に住みながら、「想定外」に極めて弱い社会を作ってしまったのかもしれないのです。パンデミックや大地震がその脆弱性を突く前に、なんとか先手を打って危機を乗り越えたいものです。

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