[奈文研コラム]法隆寺金堂の古材

法隆寺の昭和大修理と金堂

 日本の世界遺産第一号である法隆寺には、現在19件の国宝建造物、36件の重要文化財建造物があります。昭和前期にはこれらを含む境内の多くの建物について、保存修理工事がおこなわれました。

 法隆寺の建造物を代表する金堂は、建物本体の修理工事の前に昭和10年代から内陣の壁画の原寸大写真撮影や模写が開始されましたが、戦争の激化のため、工事に先駆け建物の上半分部分は解体され、部材は境内や県内の各地に疎開しました。戦争終結後も壁画の模写作業は続けられましたが、不運にも昭和24年に火災に見舞われ、壁画とともに残っていた建物の下半分(初重(しょじゅう))は大きな被害を受けました。その後修理工事が開始され、昭和29年に竣工しました。

法隆寺金堂の解体修理と古材の保管

 金堂の保存修理工事では、建物をすべて解体して傷んだ部材を交換・修理して再度組みなおすという解体修理という方法が採られました。そして解体修理の過程で様々な調査がおこなわれ、修理後は調査で明らかになった建立当初の形式に復原されることになりました。そのため、老朽化などにより再利用がかなわない部材、復原のため撤去されることになった部材、さらには火災で損傷した部材など、多くの部材が取り外され、新しい材に取り替えられることとなりました。

 取り外された古材のうち、火災で被害を受けた初重の柱や桁材などの主要構造材は保存処理がなされ、同じく被害を受けた壁画とともに、組み上げられた状態で収蔵庫に保存されました。それ以外の古材は、修理工事時に一部の整理がおこなわれましたが、全体量も多く境内各所の保管庫にバラバラで保管されていたこともあり、未整理の状態が続いていました。


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