[奈文研コラム]櫛の話

 櫛(くし)の歯って何本やと思う?

 先日、無邪気に問われました。実は謎かけ。なかなか面白いのですが、ここは奈良文化財研究所。まずは、櫛の歴史をお話しましょう。

 櫛は化粧道具で、頭髪を手入れする梳櫛(すきぐし)や解櫛(ときぐし)、飾りとしての挿櫛(さしぐし)などいくつかの用途があります。日本では古く縄文時代以来、骨角製や竹製の竪櫛(たてぐし)がみられ、古墳時代になると、新たな形態の櫛が朝鮮半島から伝来しました。爪形や長方形をした素木の挽歯横櫛(ひきばよこぐし)(写真参照)で、7世紀後半藤原宮の時代ないし8世紀平城宮の時代に定着しました。そして、横櫛の普及は竪櫛をまたたく間に衰退させ、以後の櫛の起源となったのです。

平城宮跡から出土した古代の横櫛
平城宮跡から出土した古代の横櫛

 正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)には象牙(ぞうげ)製の横櫛がみられますが、平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』によれば、櫛職人2名が年間366枚の櫛を内蔵寮(くらりょう)に納めたようです。おもな内訳は天皇に200枚、皇后に100枚、皇太子に60枚とあり、そのすべてが「由志木(ゆすのき)」つまりイスノキという樹木を素材とすることが定められています。

 平城宮跡からは250枚余りの横櫛が出土しており、実にその9割がイスノキ製です。文献資料と出土資料の実態とが見事に合致します。もうひとつ面白いのはツゲ属の横櫛が20点ほどあることです。黄楊櫛(つげぐし)といえば、現在では高級な伝統工芸品として有名でしょう。ただし、黄楊櫛を詠んだ歌が『万葉集(まんようしゅう)』にあり、斎王の「別れの小櫛」が黄楊製であるように、黄楊櫛は古くから知られていました。


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