ノーベル賞作家カズオ・イシグロの作品を読み解く ~父 石黒 鎮雄のエッセイの分析から~
近畿大学薬学部(大阪府東大阪市)教養・基礎教育部門(英語)教授 武富 利亜(たけとみ りあ)は、平成29年(2017年)にノーベル文学賞を受賞した作家カズオ・イシグロについて研究しています。カズオ・イシグロの父親で、優れた海洋学者であった石黒 鎮雄が執筆した14篇のエッセイを分析することで、カズオ・イシグロの小説に新たな視点を与えました。石黒 鎮雄のエッセイの分析はこれまでに国内外で発表されたことがなく、カズオ・イシグロ作品を読み解くうえで重要な視点であるといえます。
本件に関する論文が、令和5年(2023年)4月30日(日)発行の日本比較文化学会『比較文化研究No.151』に掲載されました。
【本件のポイント】
●カズオ・イシグロの父親のエッセイの分析は発表されたことがなく、作品を読み解くうえで重要な視点
●カズオ・イシグロ作品の副次的なテーマである親子の葛藤が、『わたしたちが孤児だったころ』以降描かれなくなった理由は、父親の存在にある
●『わたしたちが孤児だったころ』の主人公は、上海から敗戦後の長崎へひきあげた石黒 鎮雄、長崎からイギリスへわたったカズオ・イシグロ、二人の幼少期と重なる
【本件の背景】
ノーベル賞作家カズオ・イシグロの父親、石黒 鎮雄(1920~2007)は優れた海洋学者でした。コンピュータなどのない時代に、膨大なデータを紙媒体で収集し、緻密な計算と模型による波形(あびき)シミュレーション※ を幾度も重ねて、解析用のアナログ計算機「海潮波動シミュレーション電子回路模型」を開発しました。その功績は国内よりも先に海外の研究者の目に止まり、奨学金を得て留学。研究成果をあげて、東京大学から理学博士の称号を与えられました。その後、イギリスの国立海洋研究所所長からの依頼で、北海の高潮の研究をするため、昭和35年(1960年)に長男のカズオ・イシグロを含む一家全員でイギリスに移住しました。仕事のかたわらオーケストラでチェロを弾くなど音楽に精通しており、残されたエッセイからは文才もあったことがわかります。
※ 波形(あびき)シミュレーション:湾内の波について、さまざまな気象条件で潮位変動を計測すること。
【本件の内容】
カズオ・イシグロの作品では、副次的なテーマとして親子の葛藤が描かれています。しかし、平成12年(2000年)に発表した『わたしたちが孤児だったころ』という作品以降、親子の葛藤が描かれることはなくなりました。
その理由を探るため、本研究ではカズオ・イシグロの父親、石黒 鎮雄に焦点を当てました。まず、海洋学者であった石黒 鎮雄の研究内容や、イギリスに渡ってからの家族の状況を調べました。続いて、石黒 鎮雄が母校である明治専門学校(現・九州工業大学)の同窓会組織の会報誌『明専会報』に寄稿した、14篇のエッセイについて研究しました。これらのエッセイでは、カズオ・イシグロの幼少期の様子を垣間見ることができます。
エッセイの中でも特に、石黒 鎮雄の「郷愁」の描き方に注目し、『わたしたちが孤児だったころ』のなかでカズオ・イシグロが描いた「郷愁」との差異を浮き彫りにすることで、カズオ・イシグロが父子の葛藤を描かなくなった理由を紐解きました。また、父親についての理解を深めることで、『わたしたちが孤児だったころ』の「孤児」が意味するものについて、新しい解釈を与えました。
【論文掲載】
掲載誌:日本比較文化学会発行 『比較文化研究No.151』
論文名:カズオ・イシグロと父親―石黒 鎮雄のエッセイから『わたしたちが孤児だったころ』の「孤児」を考察して
(Kazuo Ishiguro and His Father—Consider the Term "Orphans" in When We Were Orphans After Reading Shizuo Ishiguro’s Essays)
著者 :武富 利亜
所属 :近畿大学薬学部 教養・基礎教育部門(英語)
【研究詳細】
石黒 鎮雄の14篇のエッセイは、上海で過ごした幼少期の記憶をはじめとして、家族、仕事、趣味など幅広いテーマについて書かれています。これらのエッセイを読むと、その内容に呼応するように、息子であるカズオ・イシグロのある作品が浮かび上がってきます。それは、幼少期を上海で過ごし、両親の失踪によって叔母の住むイギリスへ渡った後、成人して探偵となる人物が主人公の『わたしたちが孤児だったころ』という小説です。主人公のクリストファーは、幼少期に強い「郷愁」を抱いているように描かれています。また、クリストファーの友人で、この小説の鍵となる人物アキラは、長崎から上海に来た日本人という設定です。
石黒 鎮雄は、幼少期を上海で過ごして戦後に長崎へ移り、社会人となって家族でイギリスへ移住しました。カズオ・イシグロが、父親をモデルにして『わたしたちが孤児だったころ』を執筆したとすれば、作品から父親への「想い」を読み取ることができると考えました。
カズオ・イシグロは、7歳の頃まで父親がほとんど不在で、父性求愛の状態にあったことがわかります。『わたしたちが孤児だったころ』以前の作品には、父親への愛情欠如やコミュニケーション不足からおこる誤解などが繰り返し描かれています。しかし、『わたしたちが孤児だったころ』以降の作品では、父子間、とくに父親と息子の衝突は描かれなくなります。また、『わたしたちが孤児だったころ』の「孤児」の解釈について、「両親に護られた幼少期を、予期せぬ形で突然奪われた子ども」と理解すると、上海から敗戦後の長崎へひきあげた石黒 鎮雄、長崎からイギリスへわたったカズオ・イシグロ、二人の幼少期が主人公の幼少期と重なることがわかります。
カズオ・イシグロは、『わたしたちが孤児だったころ』のなかに自分と父親を投影させることで、相容れなかった父子間の葛藤や鬱積などを浄化させることができたと考えられます。
【研究者コメント】
所属 :近畿大学薬学部 教養・基礎教育部門(英語)
学位 :博士(比較社会文化)
専門 :イギリス文学、比較文学・文化、カズオ・イシグロ
コメント:石黒 鎮雄というカズオ・イシグロの父親を知ることで、『わたしたちが孤児だったころ』に新たな視点を与えることができるのではないかと思います。父親の影響が見られる小説家は多いですが、カズオ・イシグロも例外ではないといえるでしょう。
【関連リンク】
薬学部 教養・基礎教育部門 教授 武富 利亜(タケトミ リア)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2525-taketomi-ria.html