【名城大学】女子駅伝部の連覇は、ここから始まった
米田監督の指導方針にも影響を与えた自主性型育成のキーパーソン。2017年のキャプテン赤坂よもぎさん
団体競技でこそ自分は輝く。
全日本大学女子駅伝対校選手権大会連覇のストーリー。その初優勝に貢献し、常勝校の基礎を築くという大役を担ったのが、2017年の同大会でキャプテンを務めた赤坂だ。
赤坂はトップに君臨する選手ではなかった。突き抜けた才能やカリスマで、チームを引っ張ったわけではない。赤坂が長距離競技をはじめたのは中学生から。1年生で出場した地元神奈川県相模原市のロードレース大会で優勝を飾ったが、それ以降は目覚ましい活躍はなく、3年生の時に残した結果は県の大会で5位。高校は「自分のペースで練習したい」という理由から、私立の強豪校ではなく横浜市の公立高校を選んだ。それまで長距離の個人競技に打ち込んでいた赤坂は、このころから「自分は他を圧倒するようなトップオブトップの選手ではない」と思うようになっていた。そんな折に興味を持ったのが駅伝競技だった。
駅伝は、走者の力の単純な積算ではない競技。チームメイトの頑張りに感化され、実力以上のパフォーマンスをお互いが発揮できる団体競技だ。駅伝の魅力に引き込まれた赤坂は、3年生のころに競技を駅伝一本に絞り、トレーニングに励んだ。毎朝6時に家を出て朝練をこなすハードな生活。誰に強制されるでもない、自分の意志で鍛錬を重ねていく日々。その成果は大舞台で出た。関東高校駅伝(関東8都県の予選で6位までに入った高校のみが出場できる大会)で区間賞を獲得。駅伝への想いは膨らみ、より高みを目指す決心が固まった瞬間だった。
チームの雰囲気を、背中で変えていく。
赤坂が名城大学の女子駅伝部に入部したのは2014年。当時、チームの雰囲気は良くなかった。全日本大学女子駅伝対校選手権大会の直近の順位は、7位、5位、3位と徐々に上がってきていたものの、チームとしてのまとまりを欠いていた。その理由を創部当初から監督を務める米田は「自主性の問題」と話す。
名城大学女子駅伝部は2005年の全日本大学女子駅伝で初優勝を飾り、その後も好成績を残した。しかし、大学を卒業して実業団に入った選手たちは新たなステージで伸び悩むことが多かった。米田はその原因が育成方法にあると考えた。それまでは、あらゆることを具体的に指導する管理型。選手たちはその通りに練習する。それでは、自分で考え、自分で自分を成長させていく力が伸びない。競技を行う理由や目標を自ら考え行動し、自らを成長させる、選手の自主性を重視した育成方針に転換した。戸惑う選手も多くいた。当時の様子を赤坂は「選手たちは先生に叱られないよう、先生の正解を探るように練習をしていた」と語る。ただ赤坂はそんな状況でも、誰よりも早く練習をはじめ、誰よりも入念に体をつくり、自分のやるべきことを実直にこなした。赤坂の目は、己の将来像を見すえていた。
日本一の選手になる。それにはひたすら鍛え続けるしかない。本人に模範となる意識はなかったが、周囲の選手に変化が起きはじめた。赤坂の、競技と向き合う姿勢に影響を受けた選手たちは、自らの意思で取り組むようになっていった。その努力が結実したのが、2017年。4回生になった赤坂がキャプテンとして臨んだ全日本大学女子駅伝対校選手権大会だ。3区を任された赤坂は、先頭でタスキを受け、そのまま4区へ繋いだ。4区で一旦は先頭から後退したものの、5区で再び先頭に立ち、最終6区の玉城が首位の座を譲ることなくゴールテープを切った。
その夢の実現への軌跡は、多くの者たちへと受け継がれ、
今日にも大きな影響を与えている
自主性型育成のキーパーソン。
赤坂は「自分は特別な選手ではない」と自覚していたからこそ徹底してストイックに競技に向き合い、人一倍考え努力をした。しかし、ときにはその姿勢を異質と捉える者もいた。また努力が結果に結びつかず、ジレンマを抱え、気持ちが揺らぐことも幾度となくあった。そんなときに支えとなったのは、監督やコーチの存在だった。
「間違っていない、いまのままでいい」と言い続けてくれた監督とコーチの言葉。それによって、赤坂は自分を信じることができた。不安やジレンマに立ち止まることなく常に前を向けた。時には、監督やコーチから休みをとるように注意されるほど、鍛錬に打ち込んだ。自主性を重んじる育成に取り組んできた監督にとって、自らに挑み続ける赤坂は待ち望んだ理想像のひとつだった。
自ら率先して考え行動すること。それができるようになるには、人から教わるのではなく、自分で考え続けなければならない。言葉で諭しても身につくものではない。しかし、赤坂が背中を見せてくれれば、他の選手たちは、そこから感じることができる。学ぶことができる。米田と赤坂は、監督と選手であると同時にお互いを補い合う最高のパートナーだった。2022年、全日本大学女子駅伝対校選手権大会6連覇中の名城大学女子駅伝部。その歴史の出発点、その強さの根底には、ひたむきで純粋な物語があった。
「ここは、わたしの道だ」、全てが報われた瞬間。
監督と選手という師弟関係だった二人が当時を回想。全日本大学女子駅伝対校選手権大会の思い出や、今後の目標について語る。
米田:4回生の選手権はキャプテンとして臨んだけど緊張した?
赤坂:しました。でもチーム全体が日本一になることは疑っていなかったので、恐れみたいなものはなかったです。
米田:首位でタスキが回ってきたけど、どんな気持ちだった?
赤坂:先頭は気持ちよかったです。順位を落とさないことを考えていましたが、走っているうちに、「中継車がわたしを撮ってくれている、ここはわたしの道だ」と今までにないくらい、晴れ晴れとした気分になりました。今までチームで頑張ってきたことを思い出して、報われたと思えました。
米田:よもぎは人一倍努力したし、姿勢でリーダーシップを発揮し、みんなを引っ張ってくれたから、より感慨深い気持ちになれたのかもね。
赤坂:先生はなぜわたしを採ろうとしてくれたんですか?
米田:きっかけはわたしの大学の先輩。「いまの名城大学にぴったりな模範になれる選手がいるよ」と推薦してくれたんだよ。確か、よもぎが高校2年生の3月のころだったと思うけど、豊川に合宿に来て、そのときにはじめて話をしたよね。
赤坂:はい。わたしは、当初は関東の大学を希望していたんですけど、先生と話をして名城大学に一気に気持ちが持っていかれたのを覚えてます。
米田:なぜ、名城大学を選んでくれたの?
赤坂:わたしは「日本一になりたい」という気持ちが強かったので、先生の全国制覇を目指す気持ちに心を動かされました。
米田:よもぎは練習からして、その気持ちが溢れていたからね。でも、指導者からすればオーバーワークが心配だった。放っておいたらずっと走り続けてしまうから、そこだけは指摘させてもらったね。
赤坂:当時は緩め方がわからず、全部全力でやっていましたから。ご心配をお掛けしました。
米田:でもよもぎの背中を見て育った選手はたくさんいるからね。
赤坂:名城大学女子駅伝部の今後の目標は何ですか?
米田:2026年に名城大学は100周年を迎えるから、それまで勝ち続けることが一区切りの目標。
赤坂:そうすると、ちょうど10連覇になるんですね!
米田:そう。あと4年は、わたしも選手と共に走り続けます。
第35回全日本大学女子駅伝対校選手権大会(2017年10月29日)の優勝旗と記念トロフィーのレプリカ
米田監督からメッセージ
わたしは女子駅伝部の監督であるとともに名城大学法学部の教員でもあります。教員という立場から話をさせてもらうと、部員たちにも、学生一人ひとりにも、各々が自分で生きていく力を身に付けてほしいという願いがあります。わたしが駅伝部に自主性を促したのもそこに理由があり、指示がないと動けないのでは、環境が変わったときや、自分が主体となってなにかをするときに苦労します。簡単には身に付かないかもしれませんが、時に立ち止まり、自分と向き合ってください。いまの自分に何が必要なのか見えてくることがあります。あとは、それを実行するだけです。
赤坂さんからメッセージ
難しいことを考えず、まずチャレンジしてみること。できるかどうかはやってみないと分かりません。挑戦せずに諦めてしまったり、自分で限界を決めて一歩を踏み出さなかったりするのは、可能性を潰すことと同じです。ただ、なにかをはじめること、やり続けることには自分を信じる気持ちが大切。わたしで言えば米田先生のようなメンター的存在を見つけると良いかもしれません。
“自分で自分を成長させる意志こそが、 どんな状況も乗り越える力になる。”
赤坂 よもぎ
元名城大学女子駅伝部主将・現埼玉医科大学グループ女子駅伝部コーチ
姉が陸上部で慕われている姿を見て、中学1年生で陸上競技を始める。入部当初はリレー競技に打ち込むも、長距離に興味を持ち数ヵ月で競技を変更。高校3年生のときに関東高校駅伝に出場し、区間賞を獲得。名城大学では4年連続で全日本大学女子駅伝対校選手権大会に出場し、キャプテンを務めた4回生時に優勝を成し遂げる。名城大学卒業後は埼玉医科大学グループの女子駅伝部に所属。スターツ陸上競技部を経て、現在は埼玉医科大学グループの女子駅伝部でコーチとして活躍する。
米田 勝朗 教授
名城大学法学部教授・女子駅伝部監督
日本体育大学・大学院体育学研究科修士課程および弘前大学大学院医学研究科博士課程(医学)を修了。日本体育大学の学生時代には、陸上部マネージャーや箱根駅伝のコーチを務める。1995年に創部された名城大学・女子駅伝部の監督に就任。当初のメンバーは2名。初の監督業で選手の育成や獲得に苦心するも1999年の全日本大学女子駅伝対校選手権大会で初入賞を果たし、2005年には東海地方の大学では初となる優勝を飾る。2022年、全日本大学女子駅伝対校選手権大会6連覇という前人未到の記録を打ち立てる。