IEEEメンバーでバーチャルリアリティー(VR)分野の第一人者 東京大学大学院 鳴海 拓志准教授が提言を発表
IEEE(アイ・トリプルイー)は世界各国の技術専門家が会員として参加しており、VR技術など情報通信系の世界的な諸課題に関してもさまざまな提言やイベント、標準化活動を通じ技術進化へ貢献しています。今回、IEEEメンバーでバーチャルリアリティー(VR)分野の第一人者でもある、東京大学大学院 鳴海 拓志准教授が提言を発表しました。
IEEEメンバーである東京大学大学院情報理工学系研究科の鳴海 拓志准教授は、バーチャルリアリティー(VR)や拡張現実(AR)の技術を研究しています。VRは、物理的には存在しないものを感覚的には本物と同等のように本質を抽出して感じさせる技術。ARはコンピューターやスマートフォン(スマホ)の画面に映す現実の画像や映像にコンピューターグラフィック(CG)を加えることで分かりやすくする、といった人の知覚の拡張をコンピューターで行う技術を指します。鳴海准教授はこれらの技術を活用し、人の五感をコントロールすることで社会生活をより良いものにしようと取り組んでいます。
鳴海准教授のアプローチは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚という五感のうち、いくつかの感覚へ同時に働きかけることで人の感覚をコントロールしようというものです。これはクロスモーダルと呼ばれ、人は五感を統合して知覚を最適化している、という事を指します。我々も経験から、目をつぶったり鼻をつまんだりして食べ物を食べると味がわからなくなることを知っています。これは、味覚だけでなく、視覚や嗅覚も食べ物の味を知るために必要な感覚だと思われることを示します。
VRを使い、より科学的にクロスモーダル知覚を発展させた研究が、鳴海准教授の「メタクッキー」です。ヘッドマウントディスプレー(HMD)を装着してプレーン味のクッキーを食べます。その際、HMD上にチョコレート味やイチゴ味のクッキーを表示し、同時にチョコレートやイチゴの匂いを出すとクッキーの味もチョコレート味、イチゴ味として受け取ってしまいます。約7割の人が狙った通りの味として受け取ることが実証されています。味覚に視覚や嗅覚が与える影響の大きさが分かります。
さらに、HMDから実際より大きなサイズのクッキーを映し出し、満腹感をコントロールするという研究も手がけています。クッキーのサイズを1.5倍にすると食べる量が10%減り、逆に3割ほどクッキーを小さく見せると食べる量が15%増えたそうです。肥満対策など医療への応用が期待できます。
また、カメラとコンピューターを使い、鏡に映った自分の顔が、笑顔や悲しい顔だった場合メンタル面にどう影響を与えるかを調べる研究や、実空間での移動量とVR空間での移動量を気付かれない範囲でずらして空間知覚に影響を与えることで、狭い部屋の中でも広大なVR空間をずっと歩き続けられるようにするリダイレクテッドウォーキングの研究なども進めています。五感に影響を与えるものならなんでも有りのため、多種多様な研究を同時並行で進めています。
クロスモーダルによる知覚のコントロールで、一番操作しやすい感覚は何か。鳴海准教授は「CGやVRは視覚のリアルを作りやすい」とし、逆に「味覚は再現が難しい」と話します。今のところ五感の中で嗅覚と味覚は通信できません。嗅覚の場合、受容メカニズムの研究も十分には進んでいないそうです。例えば食事の際、鼻から入る香りと口から入る香りで、知覚としての処理方法が違うことが分かっていますが、そのメカニズムには未解明な部分が多く残されています。鳴海准教授に「嗅覚の通信技術はいつ実用化するか」と水を向けると、「視覚の研究が進んでから約100年後に通信サービスができあがった。嗅覚は2000年代に研究が進んできた。技術の進歩がはやくなっているので、視覚の場合よりは早く、今後20~30年で実現するのでは」としています。
VRで五感を扱えるようになった先には、現実の身体と同じようにVRを体験できるアバター(分身)が実現されるでしょう。自分の身体とは異なる特性を持ったアバターを使っているとき人の心はどう変化するか、これも鳴海准教授の研究テーマです。鳴海准教授によると、アルベルト・アインシュタインのアバターを使ってひらめきの必要な問題を解くと、実際に成績が上がるという研究結果があるそうです。鳴海准教授は「人は自分が理解する自分のイメージや役割によって能力を決めてしまっている」と分析します。アバターによって自己イメージを変え、この枷(かせ)を外すことが、研究の目的になっています。他方では、VRを介して人とコミュニケーションを取れるVRSNSやメタバースを使用する人が増えてきており、VRやアバターを日常的に使うことが人に与える良い影響、悪い影響を明らかにすることは喫緊の課題になっていると言います。
人工知能(AI)は自らが人を超えた計算能力を駆使し、分析や人を介在しない各種作業をしようというものです。対して、鳴海准教授は人とコンピューターを組み合わせ、人の思考を深めたり作業の効率を高めたりしようとする考え方に重きを置いています。そのためには人の知覚や認知、思考の仕組みを理解し、それらを最大限引き出すための工夫が必要になります。
鳴海准教授はメディアアートの世界に興味を持ち、ビジュアルアーティストの岩井 俊雄氏との交流からVRを知って、VR研究で知られる東京大学の廣瀬 通孝研究室に入りました。「VRというと、ある意味で人をだます技術であるというイメージを抱かれる方もいるかもしれません。しかし、実際には人の感覚や認知の仕組みを理解して、その特性を最大限引き出すことで、今以上に能力を発揮したり、豊かな経験を送れるようにしようとするものなのです。」と鳴海准教授は言います。そのためには、多種多様な技術の研究者や錯覚のような人の心理・認知を研究する研究者だけでなく、それをどのように社会で使うかを考えられるデザイナーやアーティストなど、多様な人が関わって技術を深めていく必要があります。
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