【名城大学・HPCシステムズ株式会社】分析困難な有用物質の含有量を簡便かつ高精度に測定できる技術の開発へ!

~量子化学計算を用いた超精密定量分析手法の確立~

HPCシステムズ株式会社の 本田 康 計算化学シニアエキスパートと名城大学総合学術研究科/理工学部/疾患予防食科学研究センターの 本田 真己 准教授らのグループは、標準物質(※1)の取得が困難で定性および定量分析(※2)が難しいシス型カロテノイド(※3)について、量子化学計算(※4)を用いて超精密に分析できる技術を開発しました。本研究成果は、2024年 10月 19 日にElsevier社が出版する国際学術誌の「Biochemical and Biophysical Research Communications」に掲載されました。

本件のポイント

・カロテノイド(※5)の主成分(トランス型カロテノイド(※6))より健康効果が高いとされる希少成分(シス型カロテノイド)の定量分析の高精度化および効率化の手法として、量子化学計算シミュレーションによる補正という新たな方法論を提案しました。
・シス型カロテノイドの精密な定量分析はこれまで非常に困難(数ヶ月以上かかることも珍しくありません)でしたが、本研究の手法ではこの分析がわずか30分足らずの時間で完了します。
・従来のシス型カロテノイドの定量分析では、文献によっては誤差が100%近いことも珍しくありませんが、リコピン、β-カロチン、アスタキサンチンを用いた検証では、量子化学計算は平均誤差約2%の精度で実験結果を再現し、本研究の手法の信頼性の高さを示しました(図1)。
・今後、本研究の手法を用いて標準物質の取得が困難な化合物の分析精度向上への応用が期待されます。特に、この技術は機能性表示食品の栄養成分表示に影響を与える可能性がある(図2)他、医薬品・化粧品など幅広い分野に展開可能であり、産業界への大きなインパクトが期待されます。

図1: HPLC(※7)強度補正係数の実験値と計算値の比較
図2: 栄養成分表示におけるシス型機能性成分の明示的表示への期待

背景

天然色素であるカロテノイド類は強力な抗酸化作用と様々な疾病予防効果や肌質改善作用を示すことから、食品や化粧品分野での需要が急速に拡大しています。天然のカロテノイド類はトランス型が主成分であるため、市場に流通しているカロテノイドも主にトランス型です。一方、分子鎖の一部が折れ曲がったカロテノイド異性体(シス型カロテノイド)(図3)は、カロテノイドの希少成分であり、トランス型よりも体内吸収性や生理活性(抗癌作用、抗老化作用、肌質改善作用など)が優れている可能性が近年報告され、その実用化が期待されています。したがって、食品などに含まれるシス型カロテノイド含有量の測定技術の確立は、重要なテーマとなっています。

図3:トランス型カロテノイドとシス型カロテノイドの例:(上) トランスアスタキサンチンと(下) 13-シスアスタキサンチン

 一般に、ある化合物の含有量を測定する場合、標準物質を用いて作成した検量線(※8)を利用して定量分析を行います。しかし、シス型カロテノイドは標準物質が存在しないため、正確に定量分析を行うことが困難であるという大きな問題があります。標準物質が存在しない理由としては、シス型カロテノイドは化学的に不安定であることや、分離・精製が難しい点などが挙げられます(シス型カロテノイドの精密な定量分析はカロテノイド1種類につき数ヶ月以上の期間を要することも珍しくありません)。

 そこで本研究グループは、量子化学計算を用いて、標準物質が取得困難なシス型カロテノイドのスペクトルデータ(吸収スペクトル(※9)、光吸収強度(※10)など)を精密にシミュレートし、(紫外可視吸光度検出器(※11)を用いた)定量分析に利用されるHPLCピーク強度を補正するための係数を求めることを試みました。もしこの補正係数が簡便かつ高精度に求まるならば、シス型カロテノイドをはじめとする希少化合物の精密定量分析の困難を解決できる可能性があります。

研究内容

 商業的に重要な3種類のカロテノイド(リコピン、β-カロチン、アスタキサンチン)のトランス型および主要なシス型(9シス型、13シス型など)異性体について、量子化学計算によりスペクトルデータ(吸収スペクトル、光吸収強度)を取得し、それらの計算結果からHPLC強度補正係数を求めました。量子化学計算は、Gaussian プログラム(※12)での時間依存密度汎関数理論(TD-DFT)(※13)を用いて行われました。

 計算されたスペクトルデータは実験値と非常に良い一致を示しました(図4)。シス型カロテノイドのような標準物質が入手困難な物質は、通常、標準物質を入手しやすい類縁化合物によって検量線を作成し、定量分析が行われます。しかし、(紫外可視吸光度検出器を用いた場合)目的化合物と類縁化合物の検出感度が異なるため、実際の測定値(HPLC強度)から算出される含有量と真の含有量の間にずれが生じることが問題となっています。今回、量子化学計算により、目的化合物(シス型)と類縁化合物(トランス型)の光吸収強度の比を極めて正確に再現し、このずれを補正する係数を算出しました。その結果、量子化学計算は平均誤差約2%の精度で、補正係数の実験値を再現できることがわかりました(図1)。この補正係数を利用することにより、目的化合物(シス型)の検量線が得られなくても、類縁化合物(トランス型)の検量線を目的化合物用に補正して精密な定量分析を行うことが可能となります。

図4: トランス型とシス型アスタキサンチンの化学構造と、実験と計算による吸収スペクトル

 また、本研究で実施したTD-DFT計算スキームは非常に簡便かつ高速であることも大きな特徴です。シス型カロテノイドは標準物質が存在しないため、その定量分析実験を精密に実施しようとすると、カロテノイド1種類につき数ヶ月以上の期間を要することも珍しくありません。しかし本研究の手法では、わずか30分足らず程度の時間で計算が完了するため、シス型カロテノイドの精密定量分析の労力を劇的に削減することができます。

図5: 量子化学計算によるアスタキサンチンHPLC分析実験の未帰属ピークの予測

 また、量子化学計算は定量分析だけでなく、未知化合物の定性分析(同定)にも有用です。アスタキサンチンのHPLC分析実験を行うと、通常、既知の化合物のピーク以外に、未知の化合物に由来するピークが数本現れます。本研究では、この未知のピークでの吸収スペクトルの実験結果と計算結果の形状を比較することにより、各HPLCピークの素性を明らかにできる可能性を示しました(図5)。図5右に示したHPLCピークの素性予測はまだ仮のものですが、今後、実験および計算検討を重ねることにより、その予測信頼性をさらに高めていく予定です。

今後の展開

 今後、計算条件の最適化や計算における溶媒効果などを検討し、本研究で提案した方法論(量子化学計算を定量分析の精緻化に適用する手法)をカロテノイドの標準分析手法として推し進めるべく、カロテノイド異性体定量分析のさらなる精緻化を行います。さらに、本技術がカロテノイド以外の化合物にも応用可能か検討し、本研究の方法論の一般化を目指します。

補足事項

 本研究の一部は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の委託事業である研究成果最適展開支援プログラム A-STEP(本格型)の支援を受けて実施しました。

用語の解説

(※1)標準物質
化合物を分析するときの基準となる物質。標準物質の分析感度と比較して、物質の定量が行われる。標準物質は成分の組成(純度)が明らかであり、化学的に安定であることが求められる。カロテノイドの場合は通常トランス型が用いられる。
(※2)定量分析
試料中にある成分量を明らかにする目的で行う分析法の総称。カロテノイド異性体の場合、通常、紫外可視吸光度検出器を用いたHPLC測定法で定量が行われる。
(※3)シス型カロテノイド
分子鎖の二重結合の一箇所以上がシス型であるカロテノイド。詳細なメカニズムは不明であるが、一部のカロテノイド(リコピン、アスタキサンチンなど)において、トランス型を摂取してもヒト体内ではシス型が豊富に検出される。また、近年の研究により、トランス型よりシス型の方が、体内吸収性や一部の生理活性(抗老化作用や抗炎症作用、肌質改善作用など)が高いことが示された。加えて、シス型カロテノイドは結晶性が低く、油脂への溶解度も高いことから、トランス型より加工適性に優れる。しかしシス型は、太陽光や蛍光灯などの日常の光で容易にトランス型に変性してしまうことが問題となっている。
(※4)量子化学計算
原子や分子、またはその集合体の挙動を正確に記述できるシュレーディンガー方程式を、できるだけ近似せずに解くための計算。あまりに大規模な分子を取り扱うと計算時間がかかり過ぎることが難点だが、計算結果の精度が高いことが大きな長所である。
(※5)カロテノイド
野菜や果物などに含まれる脂溶性の天然色素。強力な抗酸化作用を有することに加え、加齢性疾患の予防、脳の認知機能向上、肌質の改善などの作用を示すことが近年実証され、食品や化粧品分野での需要が拡大している。
(※6)トランス型カロテノイド
分子鎖の二重結合がすべてトランスであるカロテノイド。天然では通常トランス型が優勢である。高い結晶性を有し、油脂などへの溶解性が極めて低い。このような物性に起因して、体内吸収性が低く、加工(抽出、乳化、粉末化など)の効率も悪い。
(※7)HPLC(高速液体クロマトグラフィー)
物質によって液体中の移動速度が違うことを利用して、混合物試料を純物質に分離し、各純物質の含有量を分析する手法または装置。試料中にどんな物質が含まれているかを調べる定性分析と、それがどれだけ含まれているかを調べる定量分析の両方に利用される。定性分析では各純物質の種類に応じてHPLCピークの位置が異なることを、定量分析では物質の含有量がそのHPLCピークの強度に比例することを利用している。
(※8)検量線
既知濃度の物質が溶解しているサンプルを測定したときの装置からの応答と濃度値の関係線のこと。このようにして作成した検量線を用いて未知試料中の成分を定量する方法を絶対検量線法という。
(※9)吸収スペクトル
物質が各波長(主に紫外・可視光)に対してどの程度光を吸収するかをグラフにしたもので、そのグラフの縦軸が光吸収強度に対応する。カロテノイドの場合、400~500 nm付近の光を最も効率よく吸収する。
(※10)光吸収強度
物質が光を吸収する度合いを示す指標。カロテノイドの場合、トランス型とシス型で光吸収強度は1.1~1.5倍程度異なる。このことを反映して、紫外可視吸光度検出器を用いたHPLC測定では、トランス型とシス型のHPLCピーク強度は同濃度でも1.1~1.5倍程度異なって観測されてしまう。このHPLC強度の違いを量子化学計算により補正しようというのが本研究の主題である。
(※11)紫外可視吸光度検出器
カロテノイドのような紫外・可視光領域の光を吸収する化合物を検出できる検出装置。HPLCと接続できるため、HPLCで分離した成分を連続的に検出することが可能である。
(※12)Gaussian プログラム
米国Gaussian社が開発・販売している、量子化学計算の事実上の世界標準ソフトウェア。他の多くの競合ソフトと比べて計算速度が高い。また使い勝手が良く、誰が計算しても比較的信頼性の高い計算結果が得られることが大きな特徴である。カロテノイド程度の大きさの分子の一般的な計算であれば、数十分~たかだか数時間程度で計算が完了する。
(※13)時間依存密度汎関数理論(TD-DFT)
紫外可視吸収スペクトルの計算など、光が関与する現象の量子化学計算を行う際に利用される標準的な理論。計算時間に対する計算精度の費用対効果が高く、適切な計算条件を選択すれば、精密にスペクトルを予測することができる。

掲載論文

雑誌名: Biochemical and Biophysical Research Communications

タイトル: Possibility of refining carotenoid geometrical isomer analysis utilizing DFT-based quantum chemical calculations
(DFTに基づく量子化学計算を活用したカロテノイド異性体分析の精緻化の可能性)

著者名: Yasushi Honda, Antara Ghosh, Yasuhiro Nishida, Masaki Honda

掲載日時: 2024年10月19日に電子版に掲載

お問い合わせ先

HPC システムズ株式会社

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名城大学総合学術研究科/理工学部/疾患予防食科学研究センター 准教授 本田真己

TEL:052-838-2284
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