ラー博史上最大のプロジェクト「あの銘店をもう一度」 煮込み時間は20時間。これぞ「博多とんこつ」の神髄 第11弾は博多とんこつ「麺の坊 砦」
2023年1月31日(火)~2月20日(月)ラー博に復活
新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区、代表取締役:岩岡 洋志)は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日(金)にスタートさせました。
高知・須崎「谷口食堂」に続く第11弾として、2023年1月31日(火)から2月20日(月)まで、博多とんこつ「麺の坊 砦」さんにご出店いただきます。
同店は、一風堂・河原 成美氏のラーメン作りを継承するだけでなく、女性を意識した店づくりにより、女性客率が6割超えと非常に高い店であることから、2011年4月17日~2015年1月12日の間、当館にご出店いただきました。詳細は下記をご参照ください。
●店主 中坪 正勝氏
中坪 正勝氏は1968年(昭和43年)7月25日富山県富山市生まれ。幼いころからラーメンが好物で、ラーメンの食べ歩きで福岡へ行った際、一風堂の味に惹かれ、その門をたたきました。1987年(昭和62年)の事でした。
一風堂で修業をはじめ6年が過ぎた1993年、一風堂創業者・河原 成美氏に連れていかれたのが開業前の新横浜ラーメン博物館でした。
中坪氏曰く「一風堂が新横浜ラーメン博物館に出店するテレビの密着があり、とんとん拍子でラー博店の店長をやることになりました。自分としては中々ない機会だから、ここで3年頑張って独立しようと思いました」とのことです。
1994年3月6日、世界初のラーメンのフードアミューズメントパーク・新横浜ラーメン博物館がオープン。予想をはるかに上回るお客様が来館され、中坪氏は昼夜を忘れてがむしゃらに働きました。
そして中坪氏が32歳になった2000年の時、「21世紀は自分で店をやりたい」と独立の意思を伝えたところ、河原氏から「俺が一風堂を始めたのが32歳だったし、そろそろ良い頃やね」と、ついに独立を認められたのです。
●「麺の坊 砦」の歴史
2001年10月11日、東京都渋谷区の神泉に「麺の坊 砦」は創業しました。
屋号の名付け親は、師匠でもある河原 成美氏。
「いま居る処が最後の砦 そして すべての始まりなんだ がんばろうぜ」
中坪氏が目指したのは、女性一人でも安心して食べられるような店づくり。広々と開けた通り沿いに店を構え、清潔な店内、女性を意識した内装を心掛けました。更に、お子様連れの女性でも気持ちよく利用できるよう、ベビーカーや車椅子の方でもゆったりとできるよう店内を広くし、トイレもお母さんと子供が一緒に入れる広さにしました。
このようなコンセプトから「麺の坊 砦」は清潔で落ち着いたお店という口コミが広がり、女性客比率が6割を超えています。
そして2011年4月17日、「麺の坊 砦」がラー博にオープンしました。ラー博で店長(一風堂)と店主(麺の坊 砦)を務めたのはラー博史上初のことです。
●「麺の坊 砦」のラーメン
一風堂・河原氏の教えを忠実に守り、その濃厚スープを継承しています。
20時間煮込んだスープは臭みが少なく、旨味が凝縮されたクリーミーなとんこつラーメン。スープの濃度を上げることで濃厚さを出しているため、油分が少なく、女性からも多くの支持を受けています。
・スープ
豚頭のみを20時間、原形がなくなるまで丁寧にアクを取りながら煮込んだスープは、臭みが少なく、旨味が凝縮されています。
・麺
本店のすぐそばにある製麺所で作られる麺は、その日の気温や湿度によって配合を調整し、日々の微妙な変化にも対応しています。
・具材
チャーシューは2日間煮込み余分な脂を飛ばします。香りの高い海苔、養鶏所直送の玉子も安心して、美味しく口にできる具材を選んでいます。
「麺の坊 砦」の更に詳しい情報はこちら
https://note.com/ramenmuseum/n/n66b35b1cd7b8
第11弾・博多とんこつ「麺の坊 砦」に続く12店舗目には、飛騨高山「やよいそば」にご出店いただきます。
出店期間は、2023年2月21日(火)~2023年3月13日(月)となっております(※第13弾以降の出店スケジュールは、改めてお知らせいたします)。
過去のニュースリリースはこちら
https://www.raumen.co.jp/information/release/