常にリラックスした状態でいられるように。ONとOFFの垣根を超えたデッコーロウォモのパイロットシャツ

STORY Vol.07 – 井上真悟 氏(ウルトラランナー)

僕は日頃スポーツを指導することが多いので、常に動きやすい状態でいられるように機能性のある服をいつも着ていたいと思っています。decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、スポーツウェアのような機能を持っていて自由に体を動かすことができるので、いつもフットワークが軽く快適に過ごせています。

仕事のウェアと趣味のスポーツウェアなどシーンによって種類が分かれていますが、decollouomo(デッコーロウォモ)のようにONとOFFを融合したウェアは画期的で良いですね。指導している市民ランナーの方々からよく聞くことは、仕事が忙しくてトレーニングやランニングの時間を確保することが日常的になかなかできないということ。しかし、このようなウェアがあれば、仕事の空き時間にストレッチをしたり移動時にウォーキングをしたりと、ちょっとした運動もできるのでONとOFFの垣根がなくなってくる。ランナーの人たちには是非オススメしたいシャツですね。

先日、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツを着て台湾に行ってきました。現地では児童施設をまわってきたのですが、終始ストレスなく快適な旅ができました。成田から台北間の飛行機での移動時や、現地で台北から台南への電車移動。台南は今の時期すごく暑くて、日本の真夏の気温くらいあります。日本の寒いところから台南の暑いところに行った時に、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツのパフォーマンスはどうだろう?というのも確かめてみました。20代の頃mont-bell(モンベル)で働いていたのですが、mont-bell(モンベル)はアウトドアメーカーなのでスポーツウェア以上に高性能を求められます。その観点から見た結果、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツはビジネスマンだけではなく、アクティブに活動されている全ての人達に良いと思いました。とくに吸水速乾と柔軟性についてはスポーツウェアに近いものがありますね。

どのレベルのランナーにも共通していえることは怪我をしないこと。怪我をしないためには毎日ストレッチをやること、日頃から良い姿勢でいることが何よりも大切です。生活習慣から改善していかなくては変わらない。そういう意味で言えば、着る服も大切だと考えています。decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツだと、動きやすいのでストレッチをしやすいですし、独特のフィットが姿勢を整えてくれるので、日常生活を改善していく上で一歩前進すると思います。マラソンはその人の生活が反映されるスポーツ。身なりも大切ですが、行動力が問われる現代では内面の機能性も大切です。その機能性が着る人の毎日を快適にし、改善していく上で日々の積み重ねにもつながっていく。目的に向かって走っている時、一度立ち止まってゆっくり考える時、常にリラックスした状態でいられるように。decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツはいつも活躍しています。



平凡じゃない何者かになりたかった

高校時代に陸上をやっていたのですが、無茶なトレーニングをしたことで腰を故障してしまって、好きだった陸上競技ができなくなってしまったんです。また、両親の関係も良くなかったので、僕が高校を卒業した頃に離婚して一家離れ離れに。ごく普通の人生が送れないのだったら「自分にしかできない非凡な生き方をしたい!」という憧れが募るようになっていきました。そんなある日、「探偵養成学校 生徒募集」という広告を見つけて入学を決めたんです。家を出てから働いて貯めたお金をもとに、探偵養成学校へ入学し、専門知識を勉強して、卒業後はその学校が運営する探偵会社に就職しました。探偵というのはドラマで見るようなものだと思っていたのですが、実際に業務に携わってみると拘束時間が長くて仕事内容もハード。法律のギリギリのところをやっているような仕事。3年くらいやっていると精神的に立ち行かなくなっていきました。仕事1つ1つのウエイトが20歳そこそこの僕にとっては重すぎて。。結果的に22歳の時に逃げ出してしまったんです。

結局何者にもなれずにくすぶっていました。そんな時期に彼女の地元でマラソン大会が開催されることを知って、頑張ったら彼女に良いところを見せられるんじゃないかと思って出場しました。結果は、全く良いところを見せられずにギリギリでゴール。。実際のフルマラソン(42.195km)はそんな甘いものではなかった。ゴールした時、なぜか涙が止まらなくて人目もはばからず号泣してしまったんです。何で自分がそんなに泣いているのかもわからなかった。後で振り返って考えてみると、フルマラソン(42.195km)に向けて9ヶ月間トレーニングしてきた時期というのは、今まで生きてきた中で唯一、精一杯生きられたときだったと実感できた瞬間だったんです。高校時代に腰を故障して、探偵の夢を追って、色々やってはみたもののうまくいかなかった時期というのは、生きている実感があまり湧かなかったんですよね。そんな自分に初めて感動することができた瞬間でした。

次に制限時間14時間半の100kmマラソンへチャレンジしましたが、その結果はギリギリ14時間27分でなんとか完走。。この競技で結果を出すのは難しいなと考えていた時に、24時間テレビで一般向け24時間走の裏企画があったんです。最初はテレビに映れるかなと安易な考えで挑戦したんですが、その結果はなんと3位。人生で初めて表彰台に立つことができたんです。高校の陸上部時代も目立った成績を出すことができなかった。フルマラソン(42.195km)もダメ。100kmマラソンもダメだった。でも距離を伸ばしていったら上を目指せるんじゃないかということに気がついたんです。方向性もなく生きてきた中で、感情の動くものにその都度向き合ってきたら、たまたま自分なりに熱中できるものと巡り会えました。そうやってウルトラランナーへの道を志していきました。

父の他界。人生の意義を探求するために挑んだウルトラマラソン

25歳の時、突然父が他界した。自殺。警察署の霊安室に行って父の顔を見ると、今にも泣き出しそうな子供のような顔をしていました。いつも鬼のような形相で家庭内暴力を振るう父だったのに、今は情けない顔をして寝ている。自分の顔を鏡で見たときに、自分がそんな父と同じような顔をしていることに気がついたんです。。自信を持てずに情けない生き方をしているような顔。何とかそんな人生を変えたくて、命がけでやったら何か人生が変わるんじゃないかと思ってサハラ砂漠マラソンに挑戦したんです。最悪レース中に死んでしまっても良い覚悟で、捨て身の姿勢でレースに挑みました。その結果は日本人トップで完走。この頃から結果がどんどん出せるようになっていきました。立て続けに日本で行われた250kmのレースも完走することができました。そして、ギリシャのウルトラマラソンに挑戦をして9位で完走。こうして短い期間でどんどん結果を出していったので、業界の中で注目が集まってきた頃でした。しかし、どのレースで結果を出しても、周りの人たちから褒められたり認められたりしても、当時の自分には何の救いにもならず、未だ空虚感から逃れることができずにいました。

出会った子供達を喜ばせるために、世界一のウルトラランナーへ!

どう進んでいいかわからない中で、「砂漠に何か答えがあるんじゃないか」と2度目のサハラ砂漠マラソンに挑戦してみました。そこで小学生を教えているランニングクラブの監督と知り合って、うちの子供達に面白い体験談を話してくれないかと誘ってもらったんです。しかし、今まで子供と接したことがなかったのでどんなことをしたら良いかわからず、、サハラ砂漠の写真を見せながらレースで体験したことを話して、最後に「これがサハラ砂漠の砂だよ」と子供達全員にプレゼントしたんです。そうしたら、みんなが目を凄くキラキラさせて喜んでくれた。この子供たちのために走ったわけではなく、自分のネガティブな思いを払拭するために走った時の話しなのに。それが嬉しくて、すごく救われたんです。僕が探していることは、こういうことが答えなんじゃないかと気がついた瞬間でした。それからは、この何百キロ走ることを何か子供達のために活かせないかと考え始めました。マラソン大会に参加しながら、コースに隣接する児童養護施設に立ち寄らせてもらって子供達と交流したり、東京ー鹿児島間、東京ー青森間を走りながら沢山の児童養護施設にお伺いしました。この企画が僕の走るモチベーションになった。喜んでくれる子供達がいる。そんな子供達の笑顔が自分をとても頑張らせてくれました。この活動を通して存在意義を見出していくことができました。

辛い事情を抱えた子供達が前向きになれることができないか?
今まで出会った全国の子供達のために24時間走で世界一になろうと決めました。そうすれば子供達も「自分のおかげで井上は世界一になったんだ」と、少しでも自信を持って前向きになってくれるかもしれない。2010年に「BORN TO RUN(ボーントゥーラン)走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”」という世界的に売れている本が日本にも入荷して話題になったのですが、本の題材になっているScott Jurek(スコット・ジュレク)選手というアメリカの伝説のウルトラランナーがいます。その本が日本に入荷した年にIUA24時間走競技世界選手権に出場できることが決まって、そのScott Jurek(スコット・ジュレク)選手も初めて参加することになったんです。このタイミングで優勝することができたら、僕が伝説になれる!ここが人生の勝負所だと感じて、世界選手権は死ぬ気で走りました。

今までウルトラマラソンを走ってきた中で、この競技には特性があることに気がつきました。それは、筋力や体力だけではなく、心理的な駆け引き、相手に自分の位置を察知されずにポジショニングを取ることが重要だということ。24時間走り続けて相手に勝つためには、相手のことを分析してその対策を準備すること。相手や状況に合わせて臨機応変に対応すること。そして経験の数やメンタルの強さが必要になってきます。僕は元探偵なので、通常のランナーとは違う思考をもっています。探偵というとまず尾行、追跡、張り込みなどの素行調査。常に集中力を切らさずに長時間ずっと見張り続けるこの作業は、体力があり忍耐強くなければ務まりません。そして、相手の立場を考え、洞察し、そこから見えてくる相手の心境を見極めて行動する。分析と研究、様々な状況を想定した対策をする癖は培われていましたし、現場で養った忍耐力、判断力は大きな武器になりました。こうした探偵時代に身につけた能力が存分に発揮されたこともあって、Scott Jurek(スコット・ジュレク)選手に勝って世界選手権優勝。アジア新記録の273.708km、世界大会最年少で世界一になることができました。

成功と失敗の習慣とは?人間の本質は、怠けるし、飽きるし、忘れる。

プロのマラソンコーチとして、一般の方々にマラソンの考え方というものをしっかりと伝えていきたいと思っています。一番重要なことは、目標じゃなくて「目的」をもって取り組むことです。目的がないと走っていても絶対に続きません。どんな人間でも怠けるし、飽きるし、忘れるんです。これは人間の本質で仕方ないことなので抑えることはできません。まずは、「何のためにやるのか?」その目的をはっきり定めることです。

指導をしている時に「貴方が走る100kmマラソンの正確な距離を言えますか?」とよく聞きます。大抵の方が100kmマラソンなんだから100kmでしょと言われますが、それは当日走る距離であって間違いです。例えばレース当日まであと97日あるとしたら、正確な答えは97日と+100kmなんです。どういうことかわかりますか?つまり、レース当日に走る100kmが重要なのではなく、準備の97日間が重要なんです。この準備期間を何もせずに当日100kmだけ走るのは、ただの100kmランニング。この97日間をどうやって積み重ねていくかがマラソンなんです。その積み重ねてきた全てが、100kmマラソンの最後の30~40kmで問われてくるんです。この考え方を持たない限り、何回やっても失敗します。1日単位でちゃんと練習していくことが大切です。

ビジネスも一緒だと思いますが、これをやれば必ず成功するというものはありません。しかし、これをしないと失敗するというものはあると思います。その失敗や原因を予め知ることを大切にしないといけない。そうすれば失敗しないために備えることができるからです。前例のない100kmを走るにあたって、その失敗を当日起こしますか?もしくは、準備の段階でそれを知って、体験して、レース当日までに万全の備えをしますか?100kmマラソンというと未知の距離に感じて完走することは難しいと思われるかもしれませんが、目的を定めて、毎日を大切に過ごすことができれば、誰もが攻略できると僕は確信しています。続けていく中で怠けたり、飽きたり、忘れたりした時は、目的に立ち返る癖を身につける。達成するために1つ1つ積み重ねていく。100kmという距離を自分で歩んで達成した人は、そんな自分に自信を持てると思います。この距離というのは決して紛れで完走できるものではありませんからね。僕は世界一になるまでに様々な失敗をしてきました。その失敗してきた経験が僕の強みになっています。

個人プレーから襷を繋いでいく駅伝的な生き方へ

最近価値観が変わってきたことがあります。
マラソンは素晴らしいものですが、もっと社会の中で必要なのは駅伝のような考え方です。20代から情熱を持ってやってきた個人プレーのマラソンから、30代になってからは自分の役割を活かした駅伝的な生き方にシフトしていきたいと試行錯誤しています。社会は、個人それぞれのポジションで使命や責任があって、その個人が繋がり合って助け合って成り立っています。個人のことはちゃんとやらないといけませんが、それだけでは新しいものは生まれない。新しいものは、色々な個人が繋がり合って生まれるものです。駅伝はチーム戦。個人の能力だけではなく、チームでの目標・目的を全員が見ているかどうか?その団結力が大きな力となります。グローバル社会を生きていくには、海外の人達とも積極的に繋がり合って、この駅伝の考え方をブラッシュアップしていくことが必要だと思います。第一弾として昨年11月には、今までライバルだった海外のトップ選手たちに声をかけて台湾一周1000km走駅伝を開催しました。目的は、この活動で生み出したお金を使って児童養護施設の子供達にプレゼントすること。関わる大人達全員で子供達に夢を与えること。賛同してくれた選手達と一緒に、みんなで同じ想いをもって襷を繋いで走りました。著書「RUN一直跑下去:世界超馬王者的跑步之道」の出版と駅伝の活動で集まったお金は、子供達へのクリスマスプレゼントに変えて寄付することができました。

駅伝的なつながりを大切にしたい。そうして新しいものを築いていきたいと考えています。とくに異業種との交流は新しいアイデアが生まれるので面白いですね。今まで1つのことを突き詰めてきた生き方だったので、僕にはできないことがたくさんあります。だからと言って、今までやってきたことから新しい全く違うことにシフトするのではなく、今あるものは誇りにしながら、持っていないものを持っている人たちとどう繋がっていけるか、襷をどう繋いでいけるかを考えて活動していきたいですね。


井上真悟

ウルトラランナー Ultra Runner

・ウルトラマラソン24時間走競技 元世界チャンピオン
・アスリート兼プロランニングコーチ

2006年
・日本縦断522km走 大会最年少完走記録更新
・ギリシャ246km走 世界9位
・サハラ砂漠マラソン 日本人1位
・株式会社mont-bell シューフィッターとして年間約2000人のシューズフィッティングをサポート(2006年~2011年)
2007年
・サハラ砂漠マラソン 日本人1位
・日本縦断522km走 大会最年少完走記録更新
・株式会社mont-bell トレイルランニングイベント インストラクターを担当(2007年~2010年)
2008年
・国境なきランナーズ 公認レースアドバイザーとしてサハラ砂漠マラソンへの日本人参加者サポートを担当(2008〜2009年)
・ネイチャーガイドLIS非常勤登山ガイドスタッフとして夏の富士山ツアーを担当(2008~2011年)
・野外学校FOSガイドスタッフとして都立清瀬高校の環境保全活動を担当(2008~2011年)
2009年
・24時間走競技国内代表選考会 優勝(大会新記録 258.801km)
2010年
・IUA24時間走競技世界選手権 優勝(2010年世界ランキング1位・アジア新記録・世界大会最年少優勝 273.708km)
2011年
・100km走競技国内代表選考会 8位入賞
・100km走競技世界選手権 団体戦準優勝
・東日本震災支援チャリティイベント「防災リスクマネジメント講習会」を実施(2011年)
・児童養護施設就学支援「カナエールコンテスト」アンバサダーに就任
2013年
・台湾一周1100km走 優勝(大会新記録)
2015年
・雑誌「月刊ランナーズ」ウルトラマラソン企画コーチ就任
2016年
・台湾横断246km走 優勝(大会新記録)
・東海道UM駅伝 アンバサダー就任
2017年
・中国杭州24時間走競技・賞金レース 3位
・台湾一周1000km走駅伝主催
・台湾にて著書「RUN一直跑下去:世界超馬王者的跑步之道」出版(木馬出版社)

父の他界を機に挑んだ通称”世界一過酷なマラソン大会” サハラ砂漠マラソンで2年連続日本人1位の実績を残す。その後、埼玉県のジュニアランニングクラブの子供たちとの出逢いをきっかけにコアランニングスクール/ランニングコーチを始める。日本全国の児童養護施設へ走って訪れ、施設児童にサハラ砂漠のお話しをする活動を通して北海道縦断往復1088km、東京〜鹿児島1500km、東京-青森800km走破(2007〜2008)。全国の児童養護施設の子ども達との触れあいの中で挑戦する意義を見出し、当時20代で挑戦するランナーの少なかったウルトラマラソン「24時間走競技」に焦点を絞った競技活動に取り組む。29歳時、アメリカの伝説のウルトラマラソン・ランナー「スコット・ジュレク」を破り、24時間走史上最年少記録での世界タイトルを獲得。現在は、「Running Project ALIVE」を立ち上げ、市民ランナーへ100kmマラソン攻略の指導をおこなう傍ら、アスリートとして日本と台湾の児童養護施設と交流を持ち、チャレンジする意義を伝える社会活動に取り組んでいる。コアランニングスクール、ランニングコーチ、講演活動「ウルトラアカデミー」、児童養護施設へ訪問活動「地球のカケラを世界へ届けに」、異業種コラボレーションなどを行っている。


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