世界初!ES細胞用の科学的再現度が高い無血清培地を開発 培養肉の生産技術確立にもつながる研究成果

2024-05-20 11:00
蛍光標識されたES細胞がマウス初期胚と混ざり合った様子

近畿大学大学院農学研究科(奈良県奈良市)博士後期課程1年 片山ともか、近畿大学農学部(奈良県奈良市)生物機能科学科講師 岡村大治、4年生(当時) 村田大和、東邦大学理学部(千葉県船橋市)生物学科講師 山口新平らの研究グループは、大阪大学大学院生命機能研究科(大阪府吹田市)5年一貫制博士課程5年 武智真里奈、徳島大学先端酵素学研究所(徳島県徳島市)との共同研究により、培地成分を正確にコントロール可能で、研究の再現性を高めることができるマウスの多能性幹細胞※1(ES細胞※2 など)用の新しい無血清培地※3 を開発しました。本研究成果は、これまで細胞を培養する際に一般的に使用されてきたウシ胎児血清※4 成分を含まないことで、倫理的懸念および持続可能性への懸念の軽減につながり、培養肉※5 の生産技術確立に寄与することが期待されます。
本件に関する論文が、令和6年(2024年)5月15日(水)に、国際的科学誌"Frontiers in Bioengineering and Biotechnology(フロンティアズ イン バイオエンジニアリング アンド バイオテクノロジー)"に掲載されました。

【本件のポイント】
●これまで細胞培養で使用されてきたウシ胎児血清を含まない、マウス多能性幹細胞を培養するための無血清培地を開発
●全て化学的に定義され、情報公開された成分を培地に用いることで、研究者自身が培地成分を正確にコントロールでき、研究の再現性を高めることが可能
●本研究成果は、培養肉の生産技術確立につながることに期待

【本件の背景】
ES細胞などのマウス多能性幹細胞は、さまざまなタイプの細胞へと分化する能力があることから、再生医療や基礎生物学研究において広く用いられており、極めて重要な実験ツールです。しかし、これまでマウスES細胞の培養には主にウシ胎児血清を含む培養液(培地)が用いられており、生産ロット間での血清成分のばらつきが科学的な再現性に悪影響を及ぼすことが問題視されていました。一方、ウシ胎児血清を使用しない代替培地として、培養細胞の増殖に必要な因子を補填する商用サプリメントが世界中で広く使用されていますが、多くの場合、これらの製品の化学的成分は非公表であり、培地成分がマウスES細胞の動態や特性にどのように影響しているかを解析できないという課題がありました。そのため、化学的に定義され、情報が公開されている成分を用いたマウスES細胞用の無血清培地が、長らく求められていました。

【本件の内容】
研究グループは、化学的に定義され、情報公開されている成分のみを用いて、新しい無血清培地「DARP(DA-X-modified medium for robust growth of pluripotent stem cells)培地」を開発しました。この培地は、ウシ胎児血清成分を一切含まず、マウスES細胞の長期培養において必要な栄養素と環境を備えています。さらに、培地にコレステロールを添加することで、マウスES細胞が持つ特性を損なうことなく、安定的に細胞を増殖させることに成功しました。
本研究成果により、1,000種類以上もの成分で構成されているウシ胎児血清や、化学的成分が非公表な商用サプリメントが不要となり、研究者自身が培地成分を正確にコントロールできるようになります。これにより、実験の精度や再現性が大幅に向上し、マウスES細胞の自己複製能※6 や未分化性※7 の維持に必要な成分等の研究促進に大きく貢献できます。また、無血清培地を用いた持続可能な培養肉生産にも、技術的進展をもたらすことが期待されます。

【論文掲載】
掲載誌:
Frontiers in Bioengineering and Biotechnology
(インパクトファクター:5.7@2023)
論文名:
Development of a chemically disclosed serum-free medium for mouse pluripotent stem cells
(化学的に公開されたマウス多能性幹細胞のための無血清培地の開発)
著者 :
片山ともか1,#、武智真里奈3,4,#、村田大和2,#、千木雄太5、山口新平4*、岡村大治1,2*
*責任著者(共同責任著者)、#共同第一著者
所属 :
1 近畿大学大学院農学研究科、2 近畿大学農学部生物機能科学科、3 大阪大学大学院生命機能研究科、4 東邦大学理学部生物学科、5 徳島大学先端酵素学研究所
DOI :10.3389/fbioe.2024.1390386
URL :https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fbioe.2024.1390386

【研究の詳細】
現在、多くの研究機関で、ウシ胎児血清を含む培地がマウスES細胞の培養に使用されていますが、血清成分にはロットごとに大きなばらつきがあるため、科学的再現性に課題がありました。一方で、マウスES細胞用の無血清培地として、KSR※8 やB-27※9 のような無血清用サプリメントも世界中で広く使用されていますが、商用サプリメントの多くが成分非公表であり、それらの成分がマウスES細胞の動態や特性に及ぼす影響の精緻な解析が困難でした。
そこで研究グループは、以前開発に成功したガン細胞株のための無血清培地である「DA-X培地」をベースに、細胞外マトリックス※10 であるラミニンの最適化やコレステロールの適切な添加といった改良を加えることで、マウスES細胞の多能性※11 を損なわず、高い安定性と増殖性を示す新規の無血清「DARP培地」を開発しました。DARP培地は、マウスES細胞の未分化性を維持し、従来のKSRやB-27を用いた無血清培地と比較して、同等またはそれ以上の増殖効果を示すことが確認されました。さらには、DARP培地を用いることで安定してマウス初期胚(胚盤胞※12)から新たにES細胞を樹立することができ、またDARP培地条件下で維持されたES細胞からキメラマウス※13 形成も確認され、高い未分化性・多分化能性の維持効果が証明されました。またES細胞に加えて、エピブラスト幹細胞※14 の基礎培地としても使用でき、長期間に渡って安定した増殖性と多分化能性を維持することも示されました。
無血清DARP培地の開発により、すべての化学成分が明確に定義され情報公開されたことで、商用サプリメントに依存することなく、実験の精度や再現性を大幅に向上させることが期待されます。さらに、コレステロールのマウスES細胞における増殖促進効果も明らかになり、マウス多能性幹細胞の自己複製能や未分化性の維持に必要な、特定の成分の機能を解析する際の障害を大幅に低減することが可能になります。また、本研究成果は、無血清培地をベースとした培養肉生産における技術的進展をもたらすことも期待されます。

図 新規無血清DARP培地で樹立されたマウスES細胞(左)とキメラマウス(右) 蛍光タンパク質であるGFPを恒常的に発現するマウスの初期胚(胚盤胞)から新規無血清DARP培地を用いてES細胞を樹立した(左/上段:位相差写真、左/下段:蛍光写真)。ラミニンコート培養皿上での長期培養を経て、マウス8細胞期胚と凝集培養。仮親の子宮への移植によりキメラ個体を形成(右/写真中央:GFP陽性のES由来細胞が全身に分布したキメラ個体が確認できる)。

【研究者のコメント】
岡村大治(おかむらだいじ)
所属  :近畿大学農学部生物機能科学科
     近畿大学大学院農学研究科
職位  :講師
学位  :博士(医学)
コメント:筋肉細胞などの動物細胞の安定した増殖には、現在でもウシ胎児の血清を培養液に加える必要があります。また、ウシに依存しない食肉生産技術である「培養肉」にウシ血清を用いることは、倫理的にも持続可能性への懸念においても大きな矛盾を抱えています。しかし未だ無血清培地による筋肉細胞の培養は開発の途上であり、培養肉が持続可能な技術として社会に実装され普及するためには、無血清培地をベースとした培養技術の確立が極めて重要となります。当研究グループでは、多様なガン細胞株に対する無血清DA-X培地の開発を足がかりに、今回のマウス多能性幹細胞のDARP培地開発に成功し、また一つその目標達成に近づきつつあります。

山口新平(やまぐちしんぺい)
所属  :東邦大学理学部生物学科
職位  :講師
学位  :博士(医科学)
コメント:ES細胞やエピブラスト幹細胞は、受精卵から間もない初期の細胞を培養して、いわば、人工的に作り出した細胞です。我々の健康状態が食事に大きく依存するように、細胞の状態も培養培地によって大きく左右されます。私の興味のあるエピゲノム状態や、どんな細胞にも変化できる能力である分化全能性状態も培地によって変化します。このような研究を展開するためには無血清培地が必要不可欠です。今回、新たな無血清培地を開発し、複数の幹細胞を培養することに成功しました。この発見は、再生医療の実現や幹細胞研究の進展に大きく貢献すると期待されます。最後に、今回の共同研究を担ってくださった岡村氏は、私が大学院生時代(20年前!)に学会で出会って以来、兄のように慕ってきた研究者です。こうして共同責任著者として論文を一緒にまとめられたことが、まるで夢のように嬉しく思います。

【用語解説】
※1 多能性幹細胞:iPS細胞に代表される、体のさまざまな種類の細胞に変化する可能性を持つ細胞。この性質により、病気の治療や損傷した組織の修復など、医療の多くの分野での利用が期待されている。
※2 ES細胞:胚性幹細胞。着床前の初期胚から樹立される、iPS細胞とともに代表的な多能性幹細胞の一つ。全ての体細胞に分化する能力を持ち、再生医療の研究において重要な役割を果たしている。
※3 無血清培地:動物の血漿(血清)成分を含まない、細胞培養用の培地。一般に動物細胞を培養する場合には、培養液中にウシ血清を10~20%程度添加することで、安定した生存性ならびに増殖性が実現するが、無血清培地を使用することで、科学的な実験の再現性を高め、倫理的な問題を減少させることができる。
※4 ウシ胎児血清:分娩前の雌ウシの胎児の血液から採取され、細胞培養用のサプリメントとして最も広く使用されている血液の血漿分画。多くの培養条件において細胞増殖をサポートするために必要とされるが、倫理的な問題や実験の再現性の問題が指摘されている。
※5 培養肉:動物を殺さずに細胞レベルで食肉を生産する技術。細胞を特殊な培地で増やし、食用の肉として形成する。環境保護や動物福祉の観点から注目されている。
※6 自己複製能:細胞が自分自身を複製する能力のことで、これにより細胞は無限に増殖することが可能。幹細胞研究においてはこの能力が特に重要視される。
※7 未分化性:幹細胞がまだ特定の細胞タイプに特化していない状態を指す。未分化の状態を維持することで、さまざまな種類の細胞に分化する可能性を保つことができる。
※8 KSR:Knockout Serum Replacementの略。ウシ胎児血清の代わりに用いられる細胞培養用の商用サプリメント。動物由来の成分を含まず、幹細胞の培養に世界中で使用されている。
※9 B-27:神経細胞など特定の細胞培養用に開発された商用の栄養補助サプリメント。このサプリメントは神経科学の研究において広く利用されているが、近年、マウス多能性幹細胞の無血清培養にも活用されている。
※10 細胞外マトリックス:細胞の周りに存在する複合構造物で、細胞間の空間を埋め、細胞を構造的に支持する。多能性幹細胞の無血清培養の際には、細胞の生存や接着をサポートするために培養皿のコート剤として用いられる。
※11 多能性:一つの細胞から体のさまざまなタイプの細胞が生まれる能力のこと。多能性幹細胞の重要な特性の一つ。
※12 胚盤胞:哺乳類の初期発生段階の着床前時期において形成される、内部に多能性細胞集団を抱える構造。ES細胞を樹立する際の材料となる。
※13 キメラマウス:異なる遺伝的背景を持つ細胞を組み合わせて作られるマウス個体。研究では主に遺伝子操作された多能性幹細胞をマウス初期胚に注入もしくは凝集培養してキメラ胚を作り、仮親の子宮に移植することでキメラ個体を作製し、遺伝子の機能や疾患の研究に利用される。
※14 エピブラスト幹細胞:着床後の期の胚の一部から得られる多能性幹細胞で、主に哺乳類に見られる。ES細胞と同様に自己複製能・未分化性・多能性を持つ。

【関連リンク】
農学部 生物機能科学科 講師 岡村大治(オカムラダイジ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/1359-okamura-daiji.html

農学部
https://www.kindai.ac.jp/agriculture/

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