平和祈念交流展を7月1日(土)~8月31日(木)開催  「シベリア抑留ものがたり~ある漫画家のラーゲリでの体験~」

錦町立人吉海軍航空基地資料館
2023-06-23 18:00

戦後78年を迎える今夏、ひみつ基地ミュージアム[熊本県錦町]と平和祈念展示資料館[東京都新宿区]の交流事業として、ある漫画家が自らの体験をもとにラーゲリ(収容所)で過ごした日々を描いた作品を紹介する展示会「シベリア抑留ものがたり」を両施設による連携のもと2023年7月1日(土)~8月31日(木)の期間、開催します。

昭和20(1945)年、戦争が終結したにもかかわらず、シベリアを始めとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地において、乏しい食料と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられた「戦後強制抑留者」。
その中の一人、斎藤邦雄さんは戦争がもたらす悲劇を子どもたちに伝えたい想いで、自身の抑留体験をマンガにしました。

本展示会では、3年間の収容所での生活を描いた斎藤さんのマンガ作品と、抑留者たちの命を支えたモノ資料を展示します。あわせて、斎藤さんが描いたマンガをもとに制作したアニメ作品と自身の証言映像を展示会場内で上映します。
ある漫画家・斎藤邦雄さんのマンガ作品と映像、関連するモノ資料の展示を通して、シベリア抑留者の記憶に触れてください。

斎藤邦雄さん略歴

大正9(1920)年11月  群馬県藤岡市に生まれる。
昭和16(1941)年3月  東宝の美術部在職中に召集され、高崎連隊に入隊する。
          7月、当時中国北部に派遣されていた第63師団へ転属される。
昭和20(1945)年6月  部隊は満州へ移動し、8月に奉天(現・瀋陽)で終戦を迎える。
          ソ連軍による武装解除の後、10月にシベリアへと連行され、
          イルクーツク地区で4か所の収容所を転々としながら、
          約3年間の抑留生活を送る。
昭和23(1948)年7月  7年ぶりに日本へ帰国する。漫画家・作家として
          執筆活動を行いながら、平和祈念展示資料館の語り部として
          自らの戦争体験を伝える。
平成25(2013)年11月 逝去。享年93。

平和祈念交流展チラシ

平和祈念交流展チラシ

《開催情報》
日時 :2023年7月1日(土)~8月31日(木)9:00~17:00
会場 :山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム
    (錦町立人吉海軍航空基地資料館)
    多目的ホール[熊本県球磨郡錦町木上西2-107]
入場料:無料 ※多目的ホールのみ無料
主催 :錦町立人吉海軍航空基地資料館、平和祈念展示資料館
後援 :熊本県、熊本県教育委員会、錦町、錦町教育委員会

《関連イベント》予約不要・参加無料
*ギャラリートーク(平和祈念展示資料館の学芸員による展示解説)
7月1日(土)、2日(日)/8月5日(土)、6日(日) 11:00~/13:00~ 各回約30分

*工作ワークショップ「ビー玉で星空まんげきょうを作ろう」
8月5日(土)、6日(日) 9:00~16:00

マンガ作品(一部)

戦地に発つ日 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

戦地に発つ日 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

ラーゲリから作業に出発 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

ラーゲリから作業に出発 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

道路穴掘り 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

道路穴掘り 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

戦友を凍土に葬る 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

戦友を凍土に葬る 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

美しかった星空 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

美しかった星空 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

引揚船 紙芝居「シベリア抑留の話」より 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

引揚船 紙芝居「シベリア抑留の話」より 斎藤邦雄 画(平和祈念展示資料館所蔵)

モノ資料(一部)

抑留者が森林伐採作業で使用した手袋 (平和祈念展示資料館所蔵)

抑留者が森林伐採作業で使用した手袋 (平和祈念展示資料館所蔵)

抑留者が飢えに耐えかね、袖の部分をパンと交換した防寒外套 (平和祈念展示資料館所蔵)

抑留者が飢えに耐えかね、袖の部分をパンと交換した防寒外套 (平和祈念展示資料館所蔵)

収容所から日本の家族へ宛てた俘虜用郵便葉書 (平和祈念展示資料館所蔵)

収容所から日本の家族へ宛てた俘虜用郵便葉書 (平和祈念展示資料館所蔵)

戦後強制抑留(シベリア抑留)

昭和20(1945)年8月に終戦を迎えると、海外に残されていた日本の軍人・軍属は、連合国の管理のもとで帰国することになりました。このため、満州(現在の中国東北部)や朝鮮北部などのソビエト連邦(現在のロシア)軍管理地域にいた、日本の軍人・軍属や一部の民間人もソ連兵から「ダモイ(帰国)」と言われ、移動を命じられました。しかし、着いた先は日本ではなく、シベリアやモンゴルなどの酷寒の地でした。そこでは、わずかな食糧と不衛生な環境の中、過酷な労働を課せられました。抑留された約57万5千人のうち、およそ5万5千人が命を落としました。
抑留者の帰国は昭和21(1946)年に始まりましたが、昭和31(1956)年まで帰国できなかった人もいました。

山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム

太平洋戦争末期の1943年、九州山地にかこまれた、海のない人吉盆地につくられた「人吉海軍航空基地」。戦後70年が経った平成27年、「人吉海軍航空隊を顕彰する有志の会」による調査・研究により、当時の姿を鮮明に留める様々な遺構が発見されました。ひみつ基地ミュージアムはそれら遺構を展示物と捉え、それらが点在するエリアをフィールドミュージアムとして案内する施設です。入館料に含まれている地下魚雷調整場ガイドツアーは、専門ガイドが案内する人気のツアーです。

平和祈念展示資料館(総務省委託)

平和祈念展示資料館は、さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。
また、資料を有効活用し、効果的な方法で幅広く労苦を語り継ぐため、全国で展示会などの館外活動を展開しています。