自由診療を「未来への投資」で終わらせないために――小児近視治療を例に、医療者がICERで考える費用対効果

これは、保護者向けの近視治療勧誘記事ではありません
最初に明記しておきます。
本稿は、小児近視治療を保護者に勧めるための記事ではありません。
また、「うちの子は近視治療を受けるべきか」を個別に判断するための記事でもありません。
主な読者として想定しているのは、眼科医だけではありません。
医師、薬剤師、看護師、視能訓練士、製薬・医療機器企業関係者、医療政策や医療経済に関心のある方など、広く医療に関わる方を想定しています。
小児近視治療は、今回の「題材」です。
私が本当に書きたいのは、もう少し広い話です。
それは、
自由診療を、単に「高い」「怪しい」「未来への投資」という言葉だけで語ってよいのか
という問題です。
「将来のためです」は、便利すぎる言葉である
医療の現場では、しばしばこういう説明が使われます。
「将来のためです」
「予防になります」
「早めに始めた方がよいです」
「あとで後悔しないためです」
これらの言葉は、決して悪いものではありません。
実際、医療には、今の症状を取るだけでなく、将来の疾患、障害、生活機能低下を減らすという役割があります。
ワクチン、検診、生活習慣病管理、骨粗鬆症治療、禁煙支援などは、まさに「未来のため」の医療です。
しかし一方で、「将来のためです」という言葉は、あまりに便利です。
患者さんや家族の不安に届きやすい。
医療者の善意にも合う。
企業のマーケティングにも使いやすい。
そして、費用が高い介入を正当化する言葉にもなり得ます。
だからこそ、医療者側には問われます。
その予防は、何を、どの程度、どれくらいの費用で防ごうとしているのか。
ここを曖昧にしたまま「未来への投資」と言ってしまうと、医療は途端に情緒の世界へ流れます。
もちろん、医療には情緒も必要です。
しかし、情緒だけで高額な自由診療を語るのは危うい。
自由診療=悪、ではない。しかし自由診療=善でもない
自由診療という言葉には、独特の匂いがあります。
保険診療は公的で、標準的で、安全。
自由診療は高額で、商業的で、やや怪しい。
そのような印象を持つ方も少なくないでしょう。
たしかに、美容医療のように、本人の審美性、嗜好、自己実現が主目的となる自由診療があります。
これはこれで、別の評価軸があります。
本稿では、美容医療の価値判断には踏み込みません。
一方で、美容を除く自由診療・選定療養・保険外医療には、医療的に重要な領域があります。
- 将来の疾患リスクを下げる予防医療
- 保険収載前の新しい治療
- 生活機能を守る介入
- 公的保険では十分に評価されていない検査
- 疾患進行を遅らせるが、短期的な症状改善では説明しにくい治療
などです。
これらを「保険外だから怪しい」と一括りにするのは粗い。
一方で、「予防だから価値がある」と無条件に肯定するのも、また粗い。
必要なのは、もう一段、冷静な物差しです。
その物差しの一つが、QALYとICERである
医療経済では、治療の価値を考えるときに、QALYやICERという概念が使われます。
QALYとは、質調整生存年のことです。
簡単に言えば、「どれくらい長く生きたか」だけでなく、「どれくらい良い健康状態で生きたか」を合わせて評価する考え方です。
完全な健康状態を1、死亡を0とし、QOL値0.6の状態で2年間生きた場合は、1.2QALYと計算します。
日本の費用対効果評価ガイドラインでも、QALYは生存年にQOL値を乗じて得るものと説明されています。
もう少し生活に引き寄せると、こういうことです。
同じ10年でも、ほぼ不自由なく生活できる10年と、強い視覚障害により読書、運転、移動、仕事に大きな制限がある10年では、医療上の価値は同じではありません。
その違いを、できるだけ数字として扱おうとするのがQALYです。
ICERとは、増分費用効果比です。
式にすると、こうです。
ICER = 追加費用 ÷ 追加QALY
たとえば、ある治療により追加で50万円かかり、その結果0.1QALY得られるとします。
その場合、
50万円 ÷ 0.1QALY = 500万円/QALY
となります。
乱暴に言えば、ICERは「1QALYを得るために、追加でいくらかかるか」を見る指標です。
治療費が高くても、得られる健康利益が大きければICERは小さくなります。
逆に、治療費が安くても、得られる健康利益がほとんどなければICERは大きくなります。
日本の医療技術評価では、500万円/QALYという水準が価格調整上の一つの目安として扱われています。
ただし、これは個々の患者さんに「500万円以下なら受けるべき」と判断するための基準ではなく、あくまで医薬品・医療機器の価格調整に用いられる制度上の目安です。
ここは誤解してはいけません。
ICERは、患者さんに治療を押しつけるための道具ではありません。
逆に、自由診療を否定するためだけの道具でもありません。
むしろ、まともな自由診療を、不適切な自由診療から分けるための言語です。
なぜ小児近視治療を題材にするのか
小児近視治療は、この議論の題材として非常に面白い領域です。
なぜなら、費用と利益の時間軸が大きくずれるからです。
費用は、今、発生します。
点眼、眼鏡、コンタクトレンズ、オルソケラトロジー。
保護者が、子どものために、毎月、毎年、支払います。
一方で、得られる可能性のある利益は、数十年後です。
しかもその利益は、単に「裸眼で見えるようになること」ではありません。
小児近視治療の本質的なゴールは、近視そのものをゼロにすることではなく、
- 強度近視を減らす
- 緑内障リスクを下げる
- 網膜剥離リスクを下げる
- 近視性黄斑症を減らす
- 将来の視覚障害を減らす
ことにあります。
ここでいう強度近視とは、一般に近視度数が−6Dを超えるような強い近視を指します。
単に「眼鏡の度が強い」というだけではありません。
眼球が前後方向に長く伸び、網膜や視神経に長期的な負担がかかりやすい状態です。
つまり、小児近視治療は、現在の視力矯正だけでなく、未来の強度近視関連疾患を減らす医療として考える必要があります。
ここを分けずに、「近視治療は高い」「近視治療は不安商法だ」「いや、未来への投資だ」と言い合っても、議論は深まりません。
だから、数字で考えてみる。
それが今回の記事の目的です。
今回扱う小児近視治療の種類
今回の試算では、以下の4つの小児近視治療を扱います。
リジュセアミニ
(近視進行を抑える点眼治療です。そのため、視力矯正には別途眼鏡などが必要です)近視管理眼鏡
(DIMSレンズ(本邦ではMiYOASMARTとして発売)などを含みます。見え方を矯正しながら、近視進行も抑えることを目的とした眼鏡です)MiSight 1 day
(日中につけるコンタクトレンズです。視力矯正と近視進行抑制を同時に担います)オルソケラトロジー
(夜につけて、日中は裸眼で過ごせることを目指すコンタクトレンズです。視力矯正と近視進行抑制に加え、日中裸眼活動という便益があります)
ここで重要なのは、4つの治療が同じ「小児近視治療」でも、費用構造が異なることです。
リジュセアミニは、基本的に通常の眼鏡費用に上乗せされる点眼治療です。
近視管理眼鏡は、眼鏡としての視力矯正と近視進行抑制を同時に担います。
MiSight 1 dayは、通常コンタクトレンズとしての視力矯正機能も含みます。
オルソケラトロジーは、日中裸眼で過ごせるという小児期QOL上の価値も含みます。
そのため、単純に年間費用だけを並べても、完全に同じ意味で比較できるわけではありません。
今回のICER試算では、この違いを踏まえたうえで、まずは治療費を単純化して比較します。
ここから先で行うこと
ここから先では、小児近視治療を例に、次のような試算を行います。
- 強度近視の割合をどの程度と置くか
- 近視治療の費用をどの程度と置くか
- リジュセアミニ、近視管理眼鏡、MiSight、オルソケラトロジーをどう比較するか
- QALYを0.05、0.16、高リスク児モデルで置いた場合、ICERはどう変わるか
- オルソケラトロジーによる小児期の裸眼生活の価値をどう考えるか
- 将来の疾患費用や視覚障害負担をどこまで考えるべきか
- このモデルの弱点はどこか
繰り返しますが、これは個別の患者さんに治療を勧める記事ではありません。
医療関係者向けに、美容を除く自由診療・選定療養・予防医療を、感情ではなく数字で検討するための思考実験として読んでいただければと思います。
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医療法人社団久視会 いわみ眼科
理事長:岩見 久司(医学博士・日本眼科学会認定 眼科専門医)
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