20年越しの赤外線撮影―キトラ古墳壁画 東壁青龍の全身像を求めて
奈良文化財研究所 コラム作寶樓(さほろう)vol.303

キトラ古墳(7世紀末から8世紀初頭)の各壁面には、四神・十二支や天文図・日月像といった図像が良好に残っています。
とりわけ現存最古の本格的な天文図や、高松塚古墳では滅失してしまった朱雀を含む四神図は貴重なものです。こうした壁画の全体構想がわかる点が、キトラ古墳壁画をして特別な存在に押し上げています。
さらに図像の表現や描画技法の点からも、日本の古代絵画史において極めて意義深い資料とされています。
その結果、2019年には高松塚古墳壁画と並び立つ壁画という評価を得て、国宝の指定を受けました。
見えないものを見るために...


高松塚古墳壁画は知名度抜群ですが、キトラ古墳壁画は内容が濃密です。これをプロ野球に例えるなら、人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグといったところでしょうか。
それはさておき、ここで残念なことをお伝えせねばなりません。
1300年余の時間が経過する中で、石室天井石材の隙間から泥土が流入し、東壁の青龍図像の大部分を覆ってしまいました。肉眼では、大きく開いた口と前脚付近がギリギリ見えるか?といった状況です。【画像2】
西壁の白虎図像と見比べたら、影響の違いは一目瞭然です。【画像3】
果たして青龍の描画線は、土砂の侵食によって流されてしまったのか?
はたまた泥は表面を覆っているだけでその下に遺存しているのか?
四神図が完存していることを確認できれば、壁画の価値はさらに増すことでしょう。何か良い方法はないものでしょうか。
奈文研では木簡等の墨書可読性向上のため、赤外線撮影を常用しています。例えば、2018年には明日香村の岡寺本堂内の板図を分割撮影し、本堂再建に伴う建地割図であることを突き止めました。
「岡寺本堂脇内陣建地割図の調査」
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/63383
先に青龍図像が泥に覆われていると書きましたが、図像を描く色材として、墨の使用が推測されています。もし、墨や顔料が使われていたら・・・それが泥の下に遺存していたら・・・赤外線撮影で写し撮ることは可能です。ただし、覆っている泥の厚みが厄介です。通常の赤外線撮影では、表面の煤や埃など薄い膜のような層を透過させる程度ですが、泥の層は格段に厚い。
そこで泥を塗った模擬試料を用意して、予備実験をおこないました。その結果、木簡撮影で用いる850nm〜900nmの近赤外線よりも長い波長、具体的には1550nmの短波長赤外線域で泥の層を透過してくれることを確認できました。(nm:ナノメートル、1nm=0.000001mm)
ちなみにこの波長域で感度を持つのは、食品検査や分析で用いられるInGaAsカメラで、通常のデジタルカメラでは写りません。ところがこのカメラの画素数は、8万画素や30万画素程度と非常に少ないのです。このため描画線を見極めつつ図像も確認するには、岡寺本堂板図と同様の分割撮影が必要だろうという結論に至りました。
20年越しの赤外線撮影


キトラ古墳壁画の赤外線撮影は、これまで2004年、2005年、2012年、2024年におこなわれ、計7回を数えます。最初の撮影【画像4】から20年経過していますから、当時生まれた赤ちゃんは成人です。
このコラムが関わる2024年の撮影は、11月と12月に2回実施した成果です。ともに1550nmの赤外波長ですが、使用したカメラが異なります。端的にいえばカメラの新旧です。泥を透過する深度は同じですが、新しいカメラは画素数が増えて細部の鮮明さが違ってきます。また、画角を少し広くしたので、総カット数は130カットと143カットの分割撮影になりました。これらの画像1枚1枚を調整した上で画像を接合し、1枚に仕上げたものがトップ画像(12月撮影)です。
いかがでしょう。
背中の描画線や胴部のうろこの描写に加え、後脚付近や尻尾のような表現も見えそうです。腹部や頸部も明確になっています。表面を覆う泥の下には、描画線が残っていることが明白になりました。
一方、腹部などに描画線を確認できない箇所もありました。1550nmの波長だと、透過しすぎている可能性も考えられます。1400nmや1300nmなどもう少し短い波長で撮影することで、描画線を捕まえることができるかもしれません。また、土砂によって描画線がいくらか削られていたり、表面を流れている場合、もっと近接して撮影することでわずかに残る描画痕跡を発見できるかもしれません。
そうなのです。今回で終わりではなく、まだ追求できる余地があると我々は思っているのです。
文化財の調査技術は日進月歩です。それを使いこなして歴史の真実に迫れる可能性がある限り、求め続けたいと思うのです。近い将来、さらに追求した成果をお届けできると考えています。なぜなら、この撮影と解析には筆者のような写真技師だけでなく、保存科学や学芸の研究員がチームで取り組んでいるからです。このプロジェクトは、文化庁の協力を得ながら、奈文研が誇る多彩な専門研究者の知恵と熱意で下支えしています。【画像5】
今後の展開にご期待ください。
(企画調整部写真室専門職員 栗山 雅夫)
【最新】奈良文化財研究所紀要2025が公開されました
ここで紹介した成果は、2025年10月9日に公開された『奈良文化財研究所紀要2025』に「泥に覆われた図像の赤外線撮影―1550nmの波長を用いたキトラ古墳壁画青龍の調査―」として掲載されています。
『奈良文化財研究所紀要2025』は、2024年度に奈良文化財研究所がおこなった調査研究成果の最新報告となります。
「全国文化財総覧」にて全文無料公開しておりますので、ぜひご覧ください。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/143840