生まれる可能性の高い受精卵を81.63%の精度で予測するAI開発に成功 -体外受精の成功率向上に寄与-

慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程2年の金澤帝知氏、同大学理工学部生命情報学科の舟橋啓教授、同大学先端科学技術研究センターの徳岡雄大研究員、近畿大学大学院生物理工学研究科博士前期課程2年の竹下空良氏、同2年の末永遼氏、同大学生物理工学部遺伝子工学科の山縣一夫教授、扶桑薬品工業株式会社の八尾竜馬研究員と平井樹研究員らの研究グループは、明視野顕微鏡で撮像したマウス受精卵(胚)の画像から細胞核を正確に同定するアルゴリズム(FL2-Net)の開発に成功しました。FL2-Netはこの分野で世界最高峰とされていた4つの細胞核検出アルゴリズムすべてを凌駕しました。さらに、FL2-Netによって抽出された特徴をもとにマウス胚の出生予測を行ったところ、既存手法や専門家の予測を大きく上回る精度を達成しました。受精卵の質を正確に評価可能な本手法は、不妊治療における専門家の意思決定を支援し、評価の標準化や負担の軽減に貢献することが期待されます。本研究成果は学術雑誌Computers in Biology and Medicine誌Webサイトにてオンライン速報版が10月11日(英国時間)に公開されました。
【本研究のポイント】
・明視野顕微鏡画像からマウス受精卵の細胞核を世界最高峰の精度で検出することに成功した。
・マウス受精卵の出生成否を専門家より高い精度で予測した。
・受精卵の質を低侵襲かつ高精度に評価可能であるため、専門家の意思決定をサポートすることが期待される。
【研究背景】
不妊症は世界的な社会問題であり、適齢期カップルの8~12%が罹患しています。不妊治療の一つに体外受精をはじめとした生殖補助医療技術(ART)※1 があります。ARTでは、体外に取り出した卵子・精子を培養液中で受精させ、数日間の培養後、その中から発生良好の胚を1つ選んで子宮に移植します。しかしながら、2023年時点でのARTによる出生率は14.6%と低い水準にあります(日本産科婦人科学会)。従来のARTでは胚の形状などを専門家が目視で検査し、質の高い胚を優先的に移植していますが、胚培養士の習熟度によって判定にばらつきがあることや、多くの時間と労力を要することが課題点でした。
こうした中で近年では、客観性と再現性を担保しつつ、正確な評価を実現しうる手法として深層学習を活用した胚の質評価手法が注目されています。当研究グループは以前、細胞核の形態的特徴とその時間変化に着目し、胚の質評価を行う深層学習手法 NVAN(Tokuoka et al., Artif. Intell. Med. 2022)を構築し、マウス胚の出生成否の予測において、専門家や既存手法を上回る精度を達成しました。しかし、NVANのヒト胚への医療応用に向けて、細胞核の形態的特徴を定量するために受精卵に蛍光物質を導入し、特殊な顕微鏡を用いて観察する必要がありました。受精卵への蛍光物質の導入は、生物学的には影響はなくとも、倫理的な観点から医療応用では許容されません。そこで我々はこの課題を解決するため、実験や臨床で広く用いられている明視野顕微鏡で撮像した胚の画像から、細胞核を自動的に認識する深層学習手法を開発することを着想しました。これが実現すれば、将来的には臨床現場で撮像されたヒト胚の画像をもとに、生まれる可能性の高い胚を客観的に選別できるようになると期待されます。本研究ではその足掛かりとして、明視野顕微鏡画像のための細胞核セグメンテーション※2 アルゴリズム FL2-Netを構築し、さらにその解析結果を用いてマウス胚の出生予測を試みました。(図1)
【研究内容・成果】
本研究ではまず、マウス胚が成長していく過程を撮像した時系列3次元明視野顕微鏡画像データを用いて、細胞核の特徴を定量するためのセグメンテーションアルゴリズムFL2-Netを構築しました。FL2-Netは、細胞が密集している領域でも正確に細胞核を識別するための機構を備えているほか、時系列画像における連続フレームを参照することで時間的な変化も考慮した予測を行うという特徴があります。その結果、FL2-Netは、既存のAI手法(QCANet, StarDist, EmbedSeg, Cellpose3)をすべて上回る精度を実現しました。(図2)
続いて、FL2-Netによって定量した胚発生過程の形態的特徴(細胞数や細胞核体積など)と時間変化に基づき、マウス胚の出生予測を試みました。FL2-Netを用いた出生予測精度は81.63%に達し、既存手法を用いた場合を上回りました。さらに、これは胚培養の専門家38名による目視検査(予測精度55.32%)に比べても大きく上回る精度となりました。

【今後の展開】
本研究で開発した細胞核セグメンテーションアルゴリズムFL2-Netは、蛍光標識を用いることなく撮像された時系列3次元明視野顕微鏡画像から胚発生過程の形態的特徴を正確に定量できるものです。これらは、発生生物学の基盤技術として広く貢献できる可能性があります。また、本研究はマウス胚での検証にとどまりましたが、当研究グループは現在、臨床応用を見据えてヒト胚への手法の適用を進めています。提案手法により、不妊治療における胚選別時の専門家の意思決定をサポートし、出生率の向上に寄与することが期待されます。
※本研究はJSPS KAKENHI(20H03244, 25H01172), JST CREST(JPMJCR2331)の助成や支援を受けて行われました。
【原論文情報】
タイトル :Nuclear segmentation in four-dimensional label-free microscopy images
for predicting live birth potential of mouse embryos
タイトル和訳:マウス胚の出生予測のための4次元ラベルフリー
顕微鏡画像セグメンテーション手法の開発
著者 :金澤帝知1,#、八尾竜馬2,3、竹下空良2、平井樹2,3、末永遼2、山田貴大1、
徳岡雄大1、山縣一夫2,*、舟橋啓1,*
1慶應義塾大学 2近畿大学 3扶桑薬品工業株式会社
#筆頭著者 *共同責任著者
掲載誌 :Computers in Biology and Medicine
DOI :https://doi.org/10.1016/j.compbiomed.2025.111179
【用語説明】
※1生殖補助医療技術(Assisted Reproductive Technologies; ART)
体外受精・胚移植技術により、受精から妊娠・出産までの過程を補助する不妊治療技術。
※2セグメンテーション
画像から注目領域のみ(ここでは細胞核)を区画化する画像処理技術。
【関連リンク】
生物理工学部 遺伝子工学科 教授 山縣一夫(ヤマガタカズオ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/1365-yamagata-kazuo.html