[奈文研コラム]平城宮の跡の面影
2024-10-18 16:00
通称一条通りの今昔
平城宮第一次大極殿の北側を東西に通る道は、通称、一条通りと呼ばれています。本来の一条通り(古代の一条南大路)よりも北にずれているのですが、東に向かえば法華寺町で本来の一条通りに接続します。西に向かえば、奈良ファミリーの南側を通って大和西大寺駅北口前に出る道です。
この道の平城宮跡内は、戦前まではカーブが多くて狭い道でした。それを昭和28年~29年(1953-54)に改修して現在の形にしたのですが、その時に、奈良時代の築地回廊の痕跡が、とても綺麗な状態で見つかりました。それをきっかけとして、平城宮跡を詳しく発掘調査する必要があると認められ、調査を奈文研が担当することになり、今日に到ります。
遺構を踏まえた道路
では、なぜ道路の下に、奈良時代の築地回廊が残っていたのでしょうか。それは、築地回廊の跡を道路に利用したからだと私は思います。
この道にあった小さなカーブは、古代の遺構に対応しています。上記の画像をご覧ください。
これは道路改修以前の空中写真と、奈良時代後期の平城宮復原図を重ねたものです。いま第一次大極殿が復元されている場所は、奈良時代後期には「西宮」という宮殿だったと考えられています。通称一条通りを西(左)から東(右)に進むと、道路は、その西宮の北面築地回廊の上を通るために、この部分で少し北にずれています。この小さなカーブは今もそのまま踏襲されています。
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