[奈文研コラム] 雨天中止は何回か

古代の行事と雨

 いよいよ本格的な梅雨の季節となりました。

 雨が降ると、どうしても屋外での活動が制限されてしまいます。私たちの主な仕事の1つである発掘調査も、雨の中ではできません。

 古代も事情は同じで、屋外でおこなう行事は、雨天の場合は中止したり、晴れの時とは異なる雨用の設営・進行で対応していました。天気予報の発達した今でさえ、発掘調査の担当者は天気で右往左往していますから、当時の役人たちも、きっと天気に振り回されていたことでしょう。

 さて、正史『続日本紀』には、元日朝賀が雨で行事が中止になった記事がいくつか見えます。元日朝賀は天皇に正月の挨拶をする儀式で、大極殿の前の広場【写真1】に役人たちが立ち並びますから、確かに雨天決行は困難です。

【写真1】雨の平城宮第一次大極殿と礫敷広場(南西から)
【写真1】雨の平城宮第一次大極殿と礫敷広場(南西から)

 では、奈良時代74年間のうち、元日朝賀は何回くらい雨で中止になったのでしょうか?

 『続日本紀』に雨で中止とはっきり書かれているのは、8回です(うち7回は、1月2日もしくは3日に順延)。ほかに、大風による中止が1回、他の史料から雪で中止と推定されるものが1回あります。

 一方、気象庁のホームページで2月4日(立春ごろ)の奈良の天気を調べてみると、1954年から2022年までの69年間で、1㎜以上の降水があったのは9回。これと比べると、奈良時代74年間で8回というのは、概ね妥当な回数のように思われます。

 しかし、『続日本紀』に直接書いていないけれども、実は雨で中止になったという年もあるかもしれません。何か手がかりはないでしょうか。


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