【川端祐一郎】三島由紀夫の敗北と新型コロナ騒動

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教)

『三島由紀夫 vs 東大全共闘:50年目の真実』という映画が公開されていますね。大学紛争の中心の一つであった東大全共闘が1969年に、政敵というほかない「右翼・反動」の三島由紀夫を招いて1時間強の討論会を行いました。その討論の模様を収めた映像と、討論に参加した東大全共闘メンバーや「楯の会」メンバーへのインタビュー、そして現役の学者や作家らによる論評で構成されたドキュメンタリーです。

三島の提起した問題や彼の割腹自殺を過去の出来事として片付けてしまっている印象も受けたので、ドキュメンタリーとして傑作だとは感じませんでしたが、討論そのものは興味深い(部分的には何年か前にYouTubeか何かで見たことがありました)。三島の態度は真剣でありながらユーモラスかつ鷹揚で、左翼学生たちの姿勢も立派なものです。

討論の冒頭で三島は、政治的立場が右と左で異なるものの、全共闘運動の心情には強いシンパシーを覚えるのだと述べています。
当時、大学紛争の激化を受けて、自民党と共産党が「暴力反対」という方針で一致したことに、三島は強い苛立ちを覚えていました。人間の生というのはいかなる時も、不条理な情念、暴力の衝動、死の予感とともにあるもので、不安に満ちているのが本来的な姿である。しかしそのことを覆い隠すようにして、「当面の秩序さえ保たれればよいのだ」という気分が日本中に瀰漫しており、自共の手打ちはまさにその象徴だというわけです。

一方、全共闘は左翼の革命運動であり、天皇主義を掲げる三島由紀夫と政治的な方向は正反対ですが、その盛んな闘争本能と、戦後的秩序への埋没をよしとしない学生たちの熱情に、三島は惹かれてもいました。討論の中盤で、当時東大全共闘の学生であった演劇家の芥正彦氏と三島の論争があるのですが、ここには全共闘と三島のあいだの接点と相違点がともによく表れています。

この種の議論に馴染みがないと少し分かりにくいと思うのですが、芥氏の主張はこうです。「あやふやで猥褻な日本国」の社会秩序を転覆して革命を成就するために、我々はまず、全ての「関係」(言葉による観念的な意味付け)の連鎖を絶ち切って、むき出しの「事物」それ自体と向き合う必要がある。

なぜなら、我々が言語をもってする意味付けや関係付けは、文字通り既成概念に基づくものである以上、そこには不可避的に「体制側」の秩序や権力構造が多少とも入り込まざるを得ず、言葉で争っている限り根源的な変革は不可能だからである。

逆に、暴力的な闘争を通じてむき出しの事物に全力でぶつかる時、そこに開かれるのが、関係という関係から解き放たれた生身の「空間」、すなわち「解放区」であって、その獲得を芥氏のような闘士は目指していたのでした。だからまずは、大学の机をバリケードにというような「身の周りの全てが武器になる」経験を通して、既存の諸関係を乗り越えなければならないのだ、というのが芥氏の理屈です。
(解放区というものも、いったん獲得すれば安住が許されるような空間ではない。革命の目的は、「狙撃銃」によって静的な対象を射止めることではなく「散弾銃による走りながらの認識」を続ける生き方の体得だというのですが、話が長くなるのでこの辺で止めておきましょう。なお、芥氏のアナーキストぶりは全共闘の中でもかなり極端だっただろうと思います。)

一方、三島のほうも、戦後日本的な関係(観念)の秩序を転覆しなければならないと考えているわけで、芥氏らとは「共通の敵」を見据えています。ところが闘争のアプローチが異なっていて、三島は既成の秩序を乗り越えるためには、むしろ我々の観念体系の中に、転換の基軸となるような悠久の観念を見つける必要があるはずだと考えました。そして、ひとまずそれを「天皇」や「日本文化」と呼ぼうということです。

ここで論じられている主題は、我々が今も真剣に向き合わねばならないものです。戦後批判の必要という意味でもそうですし、全共闘や三島のように革命を志すかはともかくとして、「当面の秩序」に安住するのではなく、その裂け目を覗き見たいのだという願望ぐらいは持っていて然るべきだからです。

むしろ、日常的秩序の崩壊を予感するとき、その不安の中に立ち上がる理念や思想こそが、論ずるに値するものであるはずです。
討論を主催した元全共闘の木村修氏は当時を振り返って、「全共闘運動は、敗北したというよりも、一般的な社会風潮として拡散した」と表現しています。

これは恐らく正しいと思うのですが、木村氏の意図とは違って、私は「悪い意味」でそう思います。
1970年前後の「政治の季節」が去った後、我々の社会生活の中に薄く広く浸透したものは何かと言えば、それは反権力・反権威・反規制・反伝統の色味を帯びた気分のようなものです。そして日本人は、三島の言う「天皇」のような求心的な観念を探す意欲は、持たないと決め込んでしまった。しかもそれと同時に、革命運動のような強い衝動も捨てることにしたので、結果として生じたのは、「めんどうな関係からは解放されたいが、しかし『当面の秩序』は誰かに維持しておいて欲しい」という、ぬるま湯のような願望の全面化です。
この願望は簡単に、三島由紀夫の嫌った「生命至上主義」に転化します。「生命だけは絶対に守ってもらいたいが、生命以上のものについて説教するのはやめてほしい」というわけですね。
あるいはそこに「財産」(おカネ)を付け加えても良いかも知れません。いずれにせよ、敗北したのは全共闘運動ではなく、あるいはそれ以上に、三島由紀夫だったというべきでしょう。

ところで最近、新型コロナウイルス騒動のニュースを真面目に追うのをやめたのですが、それはこのウイルスに怯える人々の悲鳴が、生命至上主義の凱歌にしか聞こえないからです。あらゆる情報を押しのけて、感染者が何人だの死者が何人だのという数字ばかりが踊る様子は、人間の言葉の空間のあり方として異様です。

300万の人命を失った大東亜戦争のさなかでも、我々の祖父たちの言葉はもっと豊かだったのではないでしょうか。戦争以外のことを語る余裕は少なかったかも知れませんが、それにしても「死者が何名、ああ怖い」というような萎縮した言葉が、国民の会話の空間を制圧することはなかったはずです。
国外での死者数の増加は顕著になっていますし、医療体制の崩壊が近いとも言われますから、このコロナ禍が大ごとでないとは言えないでしょう。肺炎で死ぬのが怖いのも分かりますし、感染防止策はぜひとも講じなければならない。専門知識や技術を持つ人々の協力を仰ぐ必要もある。しかし人類史に残る幾多の危機に比べて3桁も4桁も少ない犠牲の段階で、人間を人間たらしめている「言葉」がこれほど平板になってしまうというのは、パンデミック以上に深刻な社会的病理です。単に死ぬのが怖いというよりも、生命尊重以外の価値を土台にして語る習慣を手放して久く、語彙や文体が干上がってしまったのだと見えます。

さらに言えば、新型ウイルス感染の拡大に対しても、それに由来する経済不況に対しても、我が政府の対処には遅滞と混乱が目立つわけですが、それも何割かは、我々の言葉の貧しさに原因があるかも知れませんね。方針の検討も、合意の形成も、リーダーシップの発揮も、全ては言葉によって行われますが、「生命尊重」以外の価値を語る言葉を持たなければ、救うべき命の優先順位や、失敗した場合の責任のあり方や、「自粛」により諦める価値の軽重や、危機を乗り越えた先の希望について語ることは出来ないはずだからです。
新型コロナウイルスが惹き起こすパニックは、革命論者が望んだように我々の日常的秩序を引き裂きつつあるわけですが、その裂け目を覗いてみても、「生命尊重」の他にほとばしるものは何もなかった。そして生命至上主義によって言葉の空間が押し潰されたおかげで、我々は、生命を救うための方策を打ち立てることもできなくなってしまった。そういう逆説が、今目の前に広がるグロテスクな光景の本質ではないでしょうか。

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