部屋の造りそのものが文化財とも言える 京都吉兆 嵐山本店の座敷「待幸亭」の改修がスタート

― 2023年には、お披露目のお茶会、食事会を開催 ―

株式会社 京都吉兆(京都市右京区 代表取締役社長:徳岡邦夫)は、嵐山本店の座敷「待幸亭」の改修を行い、2023年春には新しい部屋としてお目見えします。その改修がこの度スタートしたことをお知らせいたします。

嵐山本店 座敷「待幸亭」
現在の嵐山本店 座敷「待幸亭」

座敷「待幸亭」とは

松下幸之助より譲り受け、湯木貞一のもてなしの心を加え、
京都吉兆の座敷となった「待幸亭」

「待幸亭」は、明治初期に建築された旧染谷寛治別邸で、現在のパナソニック創業者、松下幸之助が譲り受けた「真々庵」の書院の部屋を、更に湯木貞一が譲り受けて、1962年に嵐山に再築された部屋です。寺社仏閣のように縁側の屋根の角に柱がなく、屋根から梁を釣った珍しい造りになっています。また、縁側は、松の木の一枚板で造られており、現代では再現が不可能だと言われています。
湯木貞一は、遠州流茶道の祖・小堀遠州の色紙を飾るのにふさわしい部屋として、色紙の歌「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸待たなむ」にちなみ「待幸亭」と名づけました。天皇がお越しになること=「行幸」を待つ、最高の方をおもてなしするための書院造りの部屋となっています。

「待幸亭」の改修概要

天井画の全面リニューアル、京都の匠による丁寧な技が集結し、
新しく蘇る日本の美

1930年、湯木貞一によって開業した吉兆。2020年には、創業90周年を迎えました。
その際、最初の建築から約150年が経ち、老朽化が目立つ「待幸亭」の大改修を予定していましたが、コロナ禍で断念。その後、再びプロジェクトが始動し、2023年春には、全改修が完了する予定です。
水漏れ、剥れ、歪みが目立つ天井画は、新しく日本画家・森田りえ子氏の作品に張り替え。
それを囲む格天井(角材を井桁状に組んだもので、最も格式の高い天井)や床の間の基礎造りなどは、丁寧に洗い拭きをし、時代の経過が創る“美”を残しながら改修。几帳や唐紙などは、新調予定です。
文化価値の高い部屋の大規模な改修に伴い、壁の塗り替え、建具の洗い、漆塗りなど、どれも熟練の技が必要とされ、知識と経験が豊富な京都の匠たちが、丁寧に仕事をしてくださいます。

森田りえ子氏と作品「秋華」

「待幸亭」天井画について

天井の琳派の波の絵は、金閣寺の本堂杉戸絵、客殿天井画も制作された
森田りえ子氏の新作へとリニューアル

現在の天井には、「中村松月堂」の扇子職人 14代 中村清兄により、火事よけのために波(水)の画が描かれています。
板の上に純金箔を貼り、その上に薄い和紙を重ね、その和紙に膠(にかわ)で波の絵を描きその上に銀箔を押し、さらに色止めに明礬(みょうばん)を塗るという凝った技法で描かれたものです。この造りにより、下地の金箔が薄い和紙を通して上品な風合いを醸し出した贅と技が融合した作品となっています。
リニューアル後は、日本画家・森田りえ子氏により、銀とプラチナを使い分け、「天の川」をテーマに絶妙なニュアンスの新しい水の絵が描かれます。

天井画 14代 中村清兄作『波の絵』

貴重な日本美術や日本建築を保護・保存するためにも、壮大なプロジェクトとして進行中の「待幸亭」改修について、今後、WEBサイト等で随時発信も行って参ります。
このプロジェクトについての取材も受付けております。問い合わせは、担当までご連絡をお願い致します。

京都吉兆

1930年、湯木貞一が「吉兆」を創業。その後、1991年に分社化し、嵐山を本店に「京都吉兆」として独立。現在の総料理長・徳岡邦夫は、湯木貞一の孫にあたる。
祇園、松花堂(八幡)、名古屋にも支店があり、日本料理の伝統を継承しながらも、新しい表現、革新的な試みにも挑戦し、食だけでなく、日本文化の創造にも積極的に取り組む。
日本を代表する料理店として、国内外の賓客の食事会、イベントにも参加。

所在地  : 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町58
WEBサイト: https://kyoto-kitcho.com/

書:小堀遠州「小倉山色紙」
見納めとなる「待幸亭」の几帳
設え「襖の引き手」
設え「釘隠し」
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