[奈文研コラム]遺跡とテーマパーク
2004年、奈文研が中心となって準備した「曙光の時代」展(※1)がドイツで開催されました。日本考古学の最新の成果を紹介したもので、当時、文化庁の文化財調査官だった私は、展覧会の運営担当として、1ヶ月あまり開催地のマンハイムに滞在しました。そこに旧知のOさんたちが展覧会を見にきて、「ごっつい展覧会やな!帰ったらムッチャ宣伝せなあかん。」と感想を述べていました。後日、私たちは共通の知人が激賞していた、デュッセルドルフ近郊にあるネアンデルタール博物館を訪れました。確かにパネルなどは工夫されていましたが、観覧しているうちに違和感を覚えてきました。展示は人骨や石器などのレプリカやパネルだけで、「本物」がないのです。Oさんも、「テーマパークだと思えば、面白いのでしょうけど。」と、同様の感想を抱いたようで、博物館のあり方について考えさせられたものです。
話は変わりますが、奈文研と中国社会科学院との学術交流の第1回目として、私は1991年に中国を訪れました。当時は郊外へ行くと農村風景が広がっており、外国人に未開放の地域も多くありました。私は土器を研究していましたので、河北省南部の磁県にある「磁州窯へ行きたい。」と希望しました。未開放地区でしたが大丈夫、ということで、戦前に日本が建てた村役場で、新中国成立後に初めて訪れた外国人として歓待を受けたことを覚えています。遺跡を訪れると、農村風景の中に陶磁器類の破片が散乱していて、当時の姿を思い描くことができました。その時同行してくれた研究員にその写真を最近見せたところ、「今ではそういう風景はもうない。」とのことでした。近年の経済発展と引き換えに、各地の遺跡も大きく姿を変えてしまったようです。
1991年には西安にも行き、唐大明宮の含元殿を訪れました。のどかな農村風景の中に、巨大な基壇の盛土がそびえていました(写真1)。