[奈文研コラム]古代の旅を追体験する

 飛鳥~平安時代、特に律令期を中心とした時代の一般の人は、基本的に土地に縛られた生活をしていたと考えられています。しかし、彼らも時には長距離を移動することがありました。一例としては、各地の特産品などの税物を都に運ぶための旅です。荷物は人が担いで、歩いて都まで運びました。また、運搬役には一般の人が動員されたため、彼らも都を見る機会はあったのです。

 古代の人が、どんなところをどのくらいの時間をかけて移動していたのか、それを知りたくて研究を続けています。『延喜式』という平安時代の法律文書には、日本各地から平安京までの往復の日数が書いてある部分があります。この数字の意味については諸説あり、必ずしも実態を表している数字では無さそうだということが分かっていますが、実際はどうでしょうか?そこで、研究の一環として現地を歩いてみることにしました。条件を考えた結果、発掘調査などが進んでいてルートが比較的解明されている東山道を選び、平安京と美濃国府(岐阜県不破郡垂井町)の間、約100kmを往復歩いてみました(図1)。

図1 実際に歩いたルート(背景図には地理院タイルを使用)
図1 実際に歩いたルート(背景図には地理院タイルを使用)

 『延喜式』には、上り(地方→京)4日、下り(京→地方)2日と書かれていますが、実際に歩いてみたところ、例えば下りでも、さすがに1日に50kmを歩いて移動するのは大変で、1日目はなんとか歩き通せたものの、2日目は前日のダメージにより歩き通すことができませんでした。この数字はやはり現実的では無いのかもしれません。


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