【藤井聡】今、「自粛派」になってしまっているのは、コロナに壊される「社交」を持たない人々なのだと思います。

From 藤井 聡(表現者クライテリオン編集長・京都大学教授)
僕は、自粛というものは「やり過ぎ」は良くないと考えています。
だから、当方は、本誌「表現者クライテリオン」の最新号、

「コロナ」が導く大転換 感染症の文明論
https://www.amazon.co.jp/dp/B088N67NYY/

でも、過剰自粛批判を様々に展開していますし、本誌編集委員、ならびに執筆者の多く(全員ではありませんが)も、同様に過剰自粛を様々な形で批判しています。
当方が「過剰自粛批判」をするのは、もちろん、自粛によって経済が壊され、それによって、私達がこれまで散々言ってきた「デフレ脱却」が出来なくなって、日本経済が疲弊し、日本国民が不幸になるからだ、と言う理由を口にすることはできます。
ですが、こういう意見に対して、「そんなもの、財政政策を散々やれば大丈夫なんだから、自粛にやり過ぎなんてものは、理論的にはあり得ないだろう。一方で、コロナは未知のウイルスなんだから自粛した方がいいに決まってるではないか」という意見を口にする方が、少なからずおられます。
ですが当方はそういう意見には首肯できません。
なぜなら、今のあの安倍内閣が、財政政策を徹底的にやるとは思えないからです。だから少なくとも今のこの状況で、いくら自粛+財政政策を叫んだところで、成功する見込みはほとんど無いでしょう。
それよりは、コロナのリスクに対処しながら、経済を回していく方が、まだ、「国民の被害」を最小化できる可能性が高い、と僕は思っています。
ですが、当方に反対する人は、「それは違う、国民の被害は、自粛した方が低いのだ!」と言う人もいるかも知れません。
当方は全くそう思いませんが、当方に反対する人は、当方のそうした議論には賛同しないのでしょう。
・・・というような事を考えていて、ある一つの事実に思い至りました。
ちょっと待てよ、と。
「自粛せよ」という人達は、ひょっとすると、自粛による痛み、というものを、実は何にも分かって無いんじゃ無いか・・・??
と思ったのです。
はっきり言って僕は、自粛させられていることで、山ほど嫌な思いをしています。

いつも行ってる酒場には行けない。
いつも行ってる釣りにも行けない。
行こうと思ってたライブも中止になったし、
やろうと思ってたライブも中止になった。
新入生歓迎のコンパだってできないし、
今年行こうと思ってたイタリア出張もいけなくなった。

はっきり言って、僕の日常も、日常的社交も皆、コロナ自粛のおかげで、ズタボロにされているわけです。
だから僕は、自粛するのが「嫌だ」という気分を持っています。
でも、中には、そんな自粛が「嫌だ」とは思ってない人がいるんだと思います。

いつも行く酒場も釣り場もなければ、
飲みに行くこともがあっても、
付き合いで行ってるだけで楽しいとも思っていない、
ライブにもプロレスにも何の興味もない。

そんな人はきっと、自粛してても、別に痛くもかゆくもないのだと思います。
・・というところから思い立ったのですが、僕個人のことはさておくとして、

一般的に言って、
「やりたいことが一杯ある人」は自粛は嫌だと思うし、
「やりたいことが特に無い人」は自粛は嫌じゃ無い、
というのは、当然です。

更に言うと、ここまで考えが及ぶと、次のようにも思えてきます。

当方の様に、色んな事をやりたいと思っている人は、
それぞれの場所で、それぞれの人々と付き合いがある。

酒場の店長や従業員、
釣り宿の女将や料亭の女将やミュージシャン・・・
そんな人達と知り合いです。

で、僕があまり行けなく無ったそういう人達は今、皆、
死にそうになっているのです。

だから僕は、そういう人達の苦しみが、手に取るように分かる。

だから、自分のわがままを全て度外視したとしても、
そういうリアルな知り合い達が、自粛によって
首をくくらんばかりの苦しい状況に追い込まれていることが、
手に取るように分かるのです。

ところが、
「やりたいことが(家族と職場以外)特に無い、自粛は嫌じゃ無い人々」
は、そういう、コロナ自粛で苦しめられている人と、全く
個人的な付き合いを持っていない。

だから、彼等はますます、
「自粛しても良いじゃん、誰も苦しまないし、それより、自粛しないでコロナで死ぬ人がいるのが問題じゃん!!」
と思ってしまうのです。
つまり、「日常」的に「社交」をしていない人々は、自粛の痛みが全く分からないので「自粛派」になりがちなのだろうと思います。なんと言っても、自粛のつらさが何も分かんないんだったら、しょうが無いですよね。
一方で、様々な社交に満ち満ちた日常を送っている人々は、自粛の被害というものをリアルに理解することができる。だから、彼等がおいそれと「自粛派」になることは無いのだろうと思います。
より正確に言うとすれば次のように言えると思います。
社交をもたぬ人々は、自粛のデメリットが分からないから、すぐに自粛しろと言いがちになる。
一方で、社交を持つ人々は、自粛のデメリットがよく分かるから、自粛をすべきかどうかを判断するとき、そのメリットがそのデメリットを上回るかどうかを「吟味」する傾向が高くなる、つまり、自粛についての判断が「精緻化する」つまり「より賢明になる」可能性が高いのです。
だから、社会政策としての自粛を巡る議論をする場合は、社交を持つ人々だけで集まって、彼等にコロナの医学的リスクを散々伝えた上で、判断するのが一番いいのでしょう。
一方で、社交を持たない人には、どれだけ自粛のつらさを言ったって何も分かんないので、コロナの議論については、ちょっとお引き取り願っておくのがいいのでしょう。
というか、それって当たり前ですよね。
自粛というのは、そもそも、人間にとってかけがえの無い価値ある「社交」を破壊するという話なのです。その「社交」の価値を、生活者として何も理解しないバカが、そんな高尚な議論に参画して良いはずがないのです。
もちろん、自粛することによる疫学的効果がある一定水準を超えるなら、当方とて、そのかけがえのない社交を一時停止することはやぶさかではありませんし、反自粛論者を徹底的に論破して、多くの国民の命を守ろうとするかもしれません(例えば、致死率が、7割だとか8割だとか言われるペストの場合はそうしたかも知れません)。
でも、今の自粛要請はそういう話とは全然違います。今の尾身的自粛は、「効果があるか無いかよく分からんが、とりあえず、念のため自粛しときますか」的なぬる~い、超いい加減なものにしか過ぎないのです。そんなものに社交の価値を理解するまっとうな大人が賛同することなど、万に一つもあるはずがありません。
・・・ということで、(例えば我が師匠、西部邁が、生前ずっと言っていたように)、人間にとって、「社交」は何よりも大切なことなのです。そしてそんな大切な社交が分からんようなガキは、大人の社会のあり方を決定する自粛論に参画しちゃいかんのです。
でも、ホント、今の日本、そういう大人が少なくなったのは哀しい話ですね。
・・・ということで、また、次の機会に。

追申:・・と考えると、今の専門家会議は、社交の分からん方ばかりだから、議論がダメになっている、とも言えそうですね。是非、下記もご一読下さい。
『「緊縮で中小企業潰れてOK」の小林理論と「とりあえず念の為自粛」の尾身理論が織りなす新専門家会議で、日本は潰される。』
https://foomii.com/00178/2020070423463668219

https://the-criterion.jp/category/mail-magazine/

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