「ビル再生100の物語」ランチマップはテナント募集に効果的♡

ビル再生100の物語 第8話

テナワンでは、これまで多くのビルの空室対策や賃貸運営を行ってきました。

それぞれの問題を解決してきたビル再生の事例を「100の物語」としてこれから公開していきます。

ランチマップでビル周辺を身近に感じてもらおう

土地のイメージ、それホントに当たってる?

新宿一丁目のビルのテナント募集をしていたときのことです。

新宿にはよく行くものの、新宿一丁目ってほとんど足を踏み入れたことがないことが判明。

どころか、ビルに初めて行くまでは、「あの」新宿二丁目の隣町なので、ついついそのイメージの名残を勝手に感じていました。

膨らむイメージ……
膨らむイメージ……

なので、アタマの中では、勝手にこんなシーンを想像してしまったりするわけです…。

実際に行ってみよう

実際に行ってみると新宿御苑駅から2区画ほど入った閑静な場所にあります。

大きな公園も目の前。仕事で根つめた時にとっても癒されそう。

実際に周辺を歩いてみると、夜のネオンのイメージとはまるで違ったとてもステキな街であることがわかってきました。

古地図で確認してみても、かつては百人組のいた場所でもあり元々地ぐらい(じぐらい:土地の由緒正しさ)も悪くない場所だったんだろうな、ということがわかります。

百人組(ひゃくにんくみ)は、江戸幕府における組織の一つ。 解説 二十五騎組・伊賀組(以上抱席)・根来組・甲賀組(以上譜代席)の4組からなり、各組に100人ずつの鉄砲足軽が配された。組頭は、その鉄砲隊の頭領である。 通常、鉄砲隊は先手組のように一隊につき20人から50人が備に配属されるのが一般的である。しかし、百人組は文字通り100人で構成され、その人員も編成当初は組名の通り、伊賀・甲賀・根来といった、鉄砲の扱いに優れた地域の者を召抱えている。ちなみに伊賀組と二十五騎組が編成されたのは1601年だが、伊賀同心が召抱えられ服部正成組下に置かれたのはそれ以前、1590年の関東入部時である。また甲賀組は1597年に、根来組は1585年に編成され成瀬正成を組頭とした。二十五騎組については史料が乏しく、由来は諸説ある。 このことから百人組は、備に配される通常の鉄砲組とは異なり、高い火力を有した独立部隊として編成されたと考えられる。 平時は主に江戸城大手三之門に詰め(番所は現存)、将軍が寛永寺や増上寺に参拝する際は山門前を警備した。 また徳川家康は、江戸城が万一落ちた場合、内藤新宿から甲州街道を通り、八王子を経て甲斐の甲府城に逃れるという構想を立てていた。鉄砲百人組とは、その非常時に動員される鉄砲隊のことであり、四谷に配されたという。 関連項目 百人町(東京都新宿区にある地名) 八王子千人同心 ケントゥリア外部リンク 『百人組』 - コトバンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E7%B5%84

どころか、付近にはステキなカフェがいっぱいありました。

オープンエアーで気持ちよさそうなお店や、

一見、山小屋風の雰囲気のあるお店も。
住んでもよさそうな環境で、オフィス立地としても申し分ないです。

募集資料は立地を含めての良さを!

知らないだけで、勝手に夜のネオンを想像してしまってごめんなさい。。
でも、そういう人って実は多いのでは??
それじゃ、せっかくの立地のポテンシャルがもったいない!

そう思った僕らは、募集資料に周辺ランチマップを加えることにしました。

実際のランチマップ。公園もあるので弁当派もうれしい!
実際のランチマップ。公園もあるので弁当派もうれしい!

このランチマップ、実は結構ウケたんです。
だってこういうツールを用意しているビルってあまりないですから!

内見に来るお客さんは、入居することを真剣にイメージすればするほど建物のスペック的なことよりも、意外にランチや通勤のことなど、個人目線のことが気になってくるものです。

逆に言えば、こういうツールをあらかじめ用意しておくと実際に自分がこのビルに入居した後のことを想像しやすくなるのではないでしょうか。


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