[奈文研コラム]町に残る西大寺のおもかげ

2024-05-17 09:00

 近鉄大和西大寺駅の南口を出て西に進むと真言律宗総本山西大寺がみえてきます。この寺院は奈良時代の称徳(しょうとく)天皇が建てた勅願寺で、その寺域は東大寺に匹敵するほどの規模を誇りました。しかし、時を経た現在では創建当時の1/10ほどの広さとなっています。現西大寺境内の周辺は住宅地となっていますが、その町の中に創建時の西大寺を偲ぶ場所がいくつかありますのでご紹介していきましょう。

 西大寺金堂院跡は、現境内の北にあります。奈良時代、西大寺には薬師金堂と弥勒金堂がありました。水利組合公民館の北東に田んぼがあります。田んぼの北にある赤い屋根の建物の下が弥勒金堂跡、田んぼの南には薬師金堂跡、田んぼは弥勒金堂前の中庭に当たります(図1)。この2つの金堂を回廊が取り囲んでいました。これらの遺跡は近年の発掘調査で確認しています。

 現境内南門前の道路を西に向かうと鳥居がみえます。その奥にたたずむ八幡神社は西大寺の鎮守社で、文献の記録から平安時代に存在していたことはあきらかです。現在の社殿は永禄9年(1566)の建物で国の重要文化財に指定されています(写真1)。有名な大茶盛式(おおちゃもりしき)※の始まりの地でもあります。

 鳥居前の南北道路は、奈良時代の平城京右京にあった西三坊大路を踏襲しています。この道を北上し野神神社の手前の道を左折した奥に野神緑地公園があります。この場所は鋳物師池(いもじいけ)の伝承地です(写真2)。鋳物師池は称徳天皇が誓願した青銅の四天王像を造ったとされる場所で、実際、この付近で奈良時代の鋳造遺跡が見つかりました。四天王像製作地候補の一つです。

図1 西大寺遺跡めぐり地図
写真1 八幡神社社殿
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