[奈文研コラム]法華寺の塔

2024-08-01 09:00

 本コラムで2017年11月に「西隆寺とその塔」と題し、尼寺である西隆寺(さいりゅうじ)の塔の基壇が、国家官寺としてはとても小さいことを指摘しました。

 その後、2023年11月の第129回奈文研公開講演会「まぼろしの尼寺 西隆寺」では、「発掘調査成果が語る西隆寺の伽藍と建物」と題して講演し、奈良時代の尼寺には全国の国分尼寺がありますが、国分尼寺には塔がないのが特徴で、奈良時代の尼寺の塔の事例として、法華寺があるものの詳細は不明であることをお話ししました。公開講演会の予稿集は↓よりダウンロードできます。

 奈良時代の法華寺には、南大門を入ると東西両塔があったようで、明治9年(1876)に金堂跡と東西両塔跡から、鈑金・鈑銀のほか、和同開珎(708年初鋳)、万年通宝(760年初鋳)、神功開宝(765年初鋳)など鎮壇具とみられる宝物が掘り出されています。金堂の建立は神功開宝初鋳の時期まで降らないことから、塔の建立が神功開宝以後と考えられています。

 法華寺の塔の建立を奈良時代まで遡らせる根拠は、ほぼこの資料のみなのですが、延文4年(1359)の「法花(ママ)寺尼別受指図」という儀式の図に、金堂とともに東西両塔の平面が描かれています(図1)。

図1:延文4年(1359)法花寺尼別受指図
画像・ファイル一覧
NC動画生成サービス
Copyright 2006- SOCIALWIRE CO.,LTD. All rights reserved.