超音波刺激で脳活動を高めるのに不可欠な脳内センサーを同定 ~認知症やうつ病など精神・神経疾患の新たな治療法への応用に期待~
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)量子医科学研究所 脳機能イメージング研究センターの下條雅文研究統括、松下有美研究員らは、近畿大学(学長 松村到)薬学部医療薬学科 竹内雄一教授らとの共同研究で、超音波刺激によって引き起こされる脳神経活動の高まりにTRPC6と呼ばれるセンサー分子が必要不可欠であることを明らかにしました(図1)。
近年、エコー検査などの画像診断技術に利用されている超音波で脳や手足の神経組織を刺激すると、その活動を調整できることがわかってきました。これに伴い、脳神経の活動に不調を生じる神経変性・精神疾患を超音波照射によって治療する方法が注目されていますが、どのような分子メカニズムが基盤となって脳神経の活動が誘導されているかは明らかではありませんでした。
そこで我々は、超音波照射と同時に脳神経の活動レベルを計測できる実験システムを独自に構築し、超音波によって脳神経の活動が誘導される現象をリアルタイムに捉えることに成功しました。この実験システムを利用して、物理的な機械刺激(圧力)に対して反応する「TRPC6(1)」というセンサー分子が、超音波による神経活動の高まりに必須な分子であることを世界で初めて明らかにしました。本研究の成果は、超音波を利用した神経活動制御の分子メカニズム理解の進展だけでなく、TRPC6をターゲットとして効率よく超音波を脳に照射することによって、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患、うつ病や統合失調症などで低下した脳神経の活動を正常状態に回復させる新たな治療法としての応用が期待されます。
本研究は、科学の全領域分野においてインパクトの大きい論文が数多く掲載されている米国科学アカデミー発行の機関誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」に2024年12月3日にオンライン掲載されました。
【発表のポイント】
●頭部に超音波を当てると脳神経の活動が高くなることが知られていたが、その詳細なメカニズムは不明だった。
●機械的な刺激に反応するセンサー分子である「TRPC6」が、超音波を当てた際に起こる神経細胞の活動の増加に不可欠であることを世界で初めて明らかにした。
●将来的には「TRPC6」を薬や遺伝子操作で制御しながら超音波で脳を刺激することで、認知症やうつ病などの精神・神経疾患を効果的に治療できると期待される。
【研究開発の背景と目的】
パーキンソン病やてんかんなどの神経疾患、うつ病や統合失調症などの精神疾患の治療法として、患者の脳を電気や磁気で刺激し、脳神経の活動を調整する方法があります。現在は主に電気と磁気の2種類の刺激法が、これらの疾患に対する治療に使用されていますが、第3の刺激法として超音波が注目されています。電気や磁気は脳の広く浅い範囲を刺激できますが、深い部位を刺激するためには電極を脳内に刺すための外科手術が必要であることや、狭い脳領域を狙って刺激するのが難しいといった難点がありました。一方、超音波は生体透過性に優れているため体の外側から脳深部まで照射することが可能であり、さらに音波を集束させることにより狭い範囲を狙って照射できるなどの利点があります。
超音波とは人が聞き取ることができない高い周波数帯域の音で、超音波が持つさまざまな特性は医療や環境、食品、農業など多岐にわたる分野で応用されています。また、医療応用としてはエコー検査などの画像診断、骨折や慢性的な痛みに対する超音波療法やリハビリなどが挙げられ、医療の分野でも欠かせない技術として広く利用されています。近年、超音波を脳や手足の神経に照射することによって神経活動を調整できることが分かり、脳疾患の治療にもつながる可能性が期待されてきました。しかしながら、超音波がどのように神経の活動を調整しているのかについて、詳細な分子メカニズムは分かっていませんでした。
2021年に細胞表面に発現する温度センサー分子と圧力センサー分子を発見したDavid Julius博士とArdem Patapoutian博士がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。これらのセンサー分子は超音波による脳神経の活動調整にも関与していると考えられてきましたが、決定的な証拠はこれまで得られていませんでした。そこで本研究では、超音波による脳活動の亢進に不可欠なセンサー分子を特定することを目的としました。
【研究の手法と成果】
(1)培養した脳神経細胞でTRPC6を欠損させると超音波を当てた際の神経活動の増加が起こらなくなる。
はじめに、超音波が神経細胞に対してどのような影響を与えるのかを調べるために、超音波の照射と同時に細胞の活動をリアルタイムで顕微鏡観察できる実験システムを立ち上げました。この実験システムを使って、マウスの脳から作製し培養したマウスの神経細胞に周波数が1MHzの超音波を照射しながら細胞の活動を観察したところ、超音波を当てた直後に細胞の活動レベルが高くなる現象を捉えることに成功しました(図2A)。
超音波が生体に及ぼす影響として、細胞が超音波のエネルギーを吸収することで起こる熱的作用と、超音波が細胞に当たることにより生じる圧力や振動による機械的な作用があります。我々は、超音波照射により細胞が活性化するのは後者の機械的な作用の可能性が高いのではないかと考え、神経細胞が発現する圧力センサーの分子の中で超音波を感知する候補を探索することにしました。
TRPC6は物理的な機械刺激を感知する分子として知られており、心臓や肺、腎臓など圧力がかかり易い臓器に多く発現して圧力センサー分子として働いていると考えられています。脳の神経細胞にもTRPC6は発現していますが、どのような役割を持っているのかはよく分かっていませんでした。そこで、TRPC6が超音波による機械的な作用を感知しているのではないかと考え、TRPC6遺伝子を破壊したマウスの脳から作製し培養した神経細胞を使って実験を行いました。その結果、TRPC6を欠損した神経細胞では、正常マウスから作製した神経細胞で観察されていた、超音波による神経活動の増加が起こらなくなることを見出しました。加えて、TRPC6を欠損した神経細胞でTRPC6の発現を回復させると、超音波による神経活動の増加が復活することが分かりました(図2B)。
図2 A.(上)今回立ち上げた、超音波照射と同時に神経細胞の活動をリアルタイムで顕微鏡観察できる実験システムの概略図。神経細胞には特定の波長の光(励起光)を当てると、そのエネルギーを利用して別の波長の光(蛍光)を発するように工夫をした。
(下)超音波照射前後の培養した神経細胞の様子。神経細胞の活動レベルが高くなると細胞から発する光が強くなる(蛍光が増強する)工夫をしており、超音波を神経細胞に当てた直後に活動レベルが増加した。
図2 B.(上)TRPC6を欠損した神経細胞とTRPC6を回復させたTRPC6欠損神経細胞に対して超音波を当てた模式図。
(下)TRPC6を欠損した神経細胞と、TRPC6を回復させたTRPC6欠損神経細胞の活動レベルを平均化したグラフ。
(2)培養した脳神経細胞と生きたマウスの脳のTRPC6を薬で抑制すると、超音波を当てた際の神経活動の高まりが大幅に抑えられる。
次に、TRPC6の働きを阻害する薬を用いて、培養した神経細胞だけでなく生きたマウスの脳でもTRPC6が超音波による神経活動の高まりに不可欠であるのかを調べました。まず、培養した脳神経細胞にTRPC6阻害薬を作用させた後で超音波を当てたところ、TRPC6を欠損した神経細胞と同様に、超音波による神経活動の増加が見られなくなりました(図3A)。そこで、このTRPC6阻害薬を処置したマウスを用い、頭蓋骨の外側から超音波を脳に照射しながら脳活動を計測しました。その結果、正常なマウスの脳では超音波を当てた直後に脳活動が高くなる現象が観察されましたが、TRPC6阻害薬を処置したマウスの脳では超音波によって誘導される脳活動は抑えられることが分かりました(図3B)。
以上の研究結果から、培養したマウスの脳神経細胞だけでなく、生きたマウスの脳においてもTRPC6が超音波によって誘導される神経活動に重要であることが分かりました。
図3 A.(上)TRPC6阻害薬の効果の概略図。
(下)通常の培養神経細胞と、TRPC6阻害薬で処理した培養神経細胞の活動レベルを平均化したグラフ。
図3 B.(上)生きたマウスの脳に超音波照射をした実験の模式図。
(下)頭蓋骨越しに生きたマウスの脳へ超音波を当てた際に誘発された神経活動の記録。オレンジ色で示すタイミングで超音波をマウス脳へ照射している。TRPC6阻害薬をマウス脳に投与すると、通常のマウスでは観察された超音波照射によって誘導される神経活動がみられなくなった。
【今後の展開】
本研究では、培養した脳神経細胞だけでなく生きた動物の脳においても、機械的な刺激を感知するセンサー分子であるTRPC6が超音波刺激による神経細胞の活動の増加に必要不可欠であることを特定しました。超音波を利用した脳疾患の治療はまだ始まったばかりであり、この成果を生かして周波数や刺激強度などの超音波パラメーターを最適化しながらより効率的に脳活動を調整できるようになれば、これまで以上に精度の高い安全な医療応用が実現します。TRPC6はアルツハイマー病を含む認知症やうつ病との関連性が指摘されており、TRPC6を薬や遺伝子操作で制御しながら超音波によって脳を刺激することで、これらの疾患を効果的に治療できるかもしれません。さらに、超音波の周波数や強度をTRPC6刺激に最適化することで治療効果の向上も見込まれます。また、認知症やうつ病では脳回路や神経活動が正常に機能していないことが症状に関係していると考えられています。本研究成果は、これらの疾患に対して、超音波を用いて神経の活動レベルを正常に回復することを目的とした医療機器の開発や臨床応用研究の発展にも大きく貢献することが期待されます。
【謝辞】
本研究は日本医療研究開発機構(AMED)「革新的先端研究開発支援事業 認知症病態における多感覚情報の統合メカニズム破綻」「革新的先端研究開発支援事業 超音波センシングによる非侵襲的かつ時空間特異的な内臓機能の精密制御」「脳神経科学統合プログラム(精神・神経疾患メカニズム解明プロジェクト)シヌクレイノパチーを全身病として捉えた病態解明と疾患修飾療法の開発」および、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業「臓器連関の包括的理解に基づく認知症関連疾患の克服に向けて」、MEXT/JSPS科研費(JP21K07580, JP24K02357, JP23K14312, JP23K27481, JP23K18250, JP24H01999)などの助成を一部受けています。
【用語解説】
(1) TRPC6
TRP(transient receptor potential)チャネルスーパーファミリーに含まれるイオンチャネルの一つで、物理化学的な刺激によって活性化して開口し、細胞外から細胞内へ陽イオンを流入させる。これらの流入が起点となって活動電位が発生し、神経細胞の興奮が起こる。
【掲載論文】
タイトル:TRPC6 is a mechanosensitive channel essential for ultrasound neuromodulation in mammalian brain
著者:Yumi Matsushita1, †, Kaede Yoshida3, †, Miyuki Yoshiya1, Takahiro Shimizu1, Satoshi Tsukamoto2, Nobuki Kudo4, Yuichi Takeuchi3, 5, *, Makoto Higuchi1, Masafumi Shimojo1, *
著者所属:1Advanced Neuroimaging Center, National Institutes for Quantum Science and Technology, Chiba 263-8555, Japan
2Laboratory Animal and Genome Sciences Section, National Institutes for Quantum Science and Technology, Chiba 263-8555, Japan.
3Department of Biopharmaceutical Sciences and Pharmacy, Faculty of Pharmaceutical Sciences, Hokkaido University, Sapporo 060-0812, Japan
4Laboratory of Biomedical Engineering, Faculty of Information Science and Technology, Hokkaido University, Sapporo 060-0814, Japan
5Laboratory of Pharmacotherapy, Department of Pharmacy, Faculty of Pharmacy, Kindai University, Osaka 577-8502, Japan
†Y.M., K.Y. contributed equally to this work
* Corresponding authors
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)
DOI: https://doi.org/10.1073/pnas.2404877121
【関連リンク】
薬学部 医療薬学科 教授 竹内雄一(タケウチユウイチ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/3088-takeuchi-yuichi.html