亜麻仁油や魚油に含まれるネルボン酸の乳がんへの抗がん作用を発見 既存の薬剤が効かない乳がん患者に対する新たな治療薬開発に期待

近畿大学農学部(奈良県奈良市)食品栄養学科教授 伊藤龍生らの研究グループは、近畿大学病院(大阪府大阪狭山市)との共同研究により、亜麻仁(あまに)油の種子や魚油に含まれる脂肪酸である「ネルボン酸」が、難治性乳がんに対して抗がん作用を示すことを明らかにしました。
本研究成果により、ホルモン製剤、分子標的薬、抗がん剤など、既存の薬剤が効きにくい乳がん患者に対して、新しい治療薬の開発が期待されるとともに、食事からネルボン酸を摂取することにより乳がんを予防できる可能性も示唆されました。
本件に関する論文が、令和7年(2025年)4月1日(火)AM0:00(日本時間)に、日本油化学会が発行する、脂質や油に関する専門誌である"Journal of Oleo Science(ジャーナル オブ オレオ サイエンス)"にオンライン掲載されました。
【本件のポイント】
●亜麻仁油の種子や魚油に含まれるネルボン酸が、難治性乳がんの治療に有効であることを発見
●ネルボン酸は、乳がんの培養細胞で細胞死を誘導し、モデルマウスでは腫瘍体積を縮小させることを解明
●本研究成果は、ネルボン酸が難治性乳がんの新たな治療薬となり、食事から摂取することにより乳がんの予防となる可能性を示唆
【本件の背景】
日本人の死亡原因の1位は悪性腫瘍であり、女性における悪性腫瘍の部位別罹患率1位は乳がんです。乳がんは4種類に大別され、そのうち65%程度を占める「ルミナル型」は、がん細胞の増殖に女性ホルモンが関与しており、治療にはホルモン製剤の有効性が高いことが知られています。また、細胞増殖に関連するタンパク質HER2が影響する「HER2受容体陽性型」では分子標的薬が、女性ホルモンとHER2の両方が影響するタイプではホルモン製剤と分子標的薬が治療に用いられており、いずれも高い効果を示します。さらに、女性ホルモンも関与しておらず、HER2受容体もない「トリプルネガティブ型」(トリプルネガティブ乳がん:TNBC)と呼ばれる難治性乳がんがあります。これは全体の15%程度を占めており、治療には一般的な抗がん剤が用いられますが、すぐに有効性がなくなり、約40%の患者が再発します。5年生存率は約50%と他の乳がんと比較して予後が非常に悪いため、TNBCに有効な抗がん薬の開発が急がれています。
今回、研究対象とした天然物に含まれる脂肪酸は、がんや他の疾患に対して影響を及ぼすことが知られています。例えば、パーム油などに含まれるパルミチン酸は、前立腺がん細胞の増殖を抑制、大豆油などに含まれるリノール酸は、大腸がんの肝臓への転移を逆に促進します。これら脂肪酸のなかで、亜麻仁油の種子や魚油に含まれる「ネルボン酸」は、複数の症状に対する抗炎症効果が明らかになっています。ネルボン酸が関与する炎症関連のシグナル伝達経路は、がんにも関連することが知られていますが、ネルボン酸のがんに対する効果はまだ報告されていません。
【本件の内容】
研究グループは、ネルボン酸がTNBCに対して抗がん作用を有するかを調べました。まず、ヒト由来TNBCの培養細胞にネルボン酸を添加すると細胞生存率の減少が確認され、この細胞生存率の減少はアポトーシス※1 の誘導によるものであることも明らかになりました。また、TNBC細胞の細胞増殖期のうち、増殖期全体で増殖が抑制されることもわかりました。

次に、ネルボン酸がTNBCの転移を抑制するかを検証するため、培養細胞を用いて「遊走※2」と「浸潤※3」について評価したところ、いずれについても抑制効果を示すことが明らかになりました。続いて、ヒト由来のがん細胞を乳腺に移植したモデルマウスにネルボン酸を経口投与すると、原発巣※4 での腫瘍体積が有意に縮小し、乳がんでは比較的多く発生する肺での転移を有意に抑制することが明らかとなりました。
本研究成果から、ネルボン酸がTNBCの新たな治療薬となる可能性が示唆されました。さらに、ネルボン酸を食事から摂取することにより乳がんの発症率を低下させ、乳がん患者のQOLを向上させるとともに、乳がんの予防にも繋がることが期待されます。
【論文概要】
掲載誌:Journal of Oleo Science(インパクトファクター:1.7@2023)
論文名:Anticancer Effects of Nervonic Acid in Triple-Negative Breast Cancer
(ネルボン酸のトリプルネガティブ乳がんに対する抗がん作用)
著者 :河合晶帆1、小野文彰2、佐藤隆夫2、伊藤龍生1,3,4* *責任著者
所属 :1 近畿大学大学院農学研究科、2 近畿大学病院病理診断科、3 近畿大学農学部、
4 近畿大学アンチエイジングセンター
【研究詳細】
研究グループは、TNBCの新たなる食品性分の発見をめざし、さまざまな抗炎症効果が知られる脂肪酸について効果を検証しました。はじめに、飽和脂肪酸2種類、不飽和脂肪酸4種類についてTNBCに対する増殖抑制活性を調べたところ、最大の増殖抑制を示したものがネルボン酸でした(図1)。

ネルボン酸によるTNBC増殖抑制は、細胞死誘導によるものか、細胞増殖を抑制しているのかを調べた結果、ネルボン酸はTNBC細胞に対してCaspase-3※5 経路ではなく、細胞内NF-κβ※6 発現量を抑制することによりアポトーシスを誘導することが明らかとなりました。
次に、ネルボン酸のTNBC細胞に対する遊走・浸潤抑制効果を調べるために、遊走・浸潤モデルの実験系を用いて実験を行いました。その結果、ネルボン酸はTNBC細胞の遊走を約30%抑制し、この抑制には細胞接着分子であるCDH1・CDH2の遺伝子発現が関与していることを明らかにしました。また、ネルボン酸はTNBC細胞の基底膜分解酵素であるMMP2およびMMP9タンパク質の発現を抑制することにより、浸潤細胞が約50%減少することがわかりました(図2)。

培養細胞を用いた実験において、ネルボン酸によるTNBC細胞の増殖・遊走・浸潤抑制効果が明らかになったことから、ヒトの乳がん細胞を移植したがん転移モデルマウスを作製してネルボン酸の有効性を確認しました。メスのヌードマウス※7 の第4乳腺脂肪組織にTNBC細胞を移植して、7日後にネルボン酸を経口投与し、さらに7日後に乳腺腫瘍体積の測定と肺への転移数の計数を行いました。その結果、ネルボン酸は乳腺腫瘍体積の抑制と、肺への転移抑制効果があることを明らかにしました(図3)。

以上のことから、ネルボン酸は難治性乳がんに対して、抗がん作用を示すことが明らかになりました。抗がん剤が効きにくい乳がん患者に対する新たな治療薬となる可能性が示唆されるとともに、食事によりネルボン酸を摂取することで乳がんの発症率を低下させられる可能性があり、乳がん患者に有効な食事療法となることが期待されます。
【研究者のコメント】
伊藤龍生(いとうたつき)
所属 :近畿大学農学部食品栄養学科、近畿大学大学院農学研究科、
近畿大学アンチエイジングセンター
職位 :教授
学位 :博士(医学)
コメント:乳がんは女性の罹患率が一位であり、生活習慣と非常に深い関連があることが報告されています。新しい治療薬や予防薬が見つかり、開発されることは非常に重要なことと捉えています。少しでもこのような病気の治療に手助けができればと思い研究を進めています。
河合晶帆(かわいあきほ)
所属 :近畿大学大学院農学研究科
学年 :前期博士課程2年
コメント:私たちが生きていく上で欠かせない食を通じて治療に貢献できたらと考え、研究に取り組みました。この研究が新たな食事療法や治療薬開発の一助となり、少しでも多くの患者さんを支えることに繋がれば幸いです。
【用語解説】
※1 アポトーシス:細胞の死に方の一種で、プログラムされた細胞死。
※2 遊走:細胞が元あった場所から他の場所に移動することを指し、細胞移動とも呼ばれる。
※3 浸潤:がん細胞などの腫瘍細胞が、周囲の組織や臓器に広がっていくこと。
※4 原発巣:最初に発生した部位でのがん。
※5 Caspase-3:Caspase(カスパーゼ)は、アポトーシスを含む細胞死や炎症など多数のシグナル伝達において中心的な役割を果たすタンパク質分解酵素の一つ。Caspase-3は、とくにアポトーシスの反応を進行するために必要な因子。
※6 NF-κβ:転写因子として働くタンパク質複合体で、炎症反応のシグナル伝達において重要な役割を果たす。NF-κβの発現が抑制されると、アポトーシスが誘導される。
※7 ヌードマウス:免疫能力を弱くしたマウス。
【関連リンク】
農学部 食品栄養学科 教授 伊藤龍生(イトウタツキ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/674-itou-tatsuki.html
医学部 医学科 特任教授 佐藤隆夫(サトウタカオ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/575-satou-takao.html
農学部
https://www.kindai.ac.jp/agriculture/
医学部
https://www.kindai.ac.jp/medicine/
近畿大学病院
https://www.med.kindai.ac.jp/